未曽有の都市災害が起きた。兵庫県南部を襲った直下型地震は、多数の人命を奪い、神戸、阪神間の都市機能を一瞬にして壊滅させた。近代的大都市の防災対策の根本からの見直しが迫られる。
十七日の未明に発生した震度6の烈震は、淡路島北部を震源とする直下型で、不気味な地鳴りを伴って、大地を激しく揺るがした。
兵庫県警のまとめによると倒壊した建物の下敷きになったり、土砂崩れなどで亡くなった人は二千五百人を超え、不明者の数も千人近い。発生から二日目の夜を迎えても、生き埋め状態になっている人たちが数多い。一刻も早い救出を願うばかりだ。
亡くなった方たちには、心からお悔やみを申し上げたい。また家を失うなどして、避難生活を強いられる被害者たちの不自由さは、察して余りあるものがある。心を強くもって、事態の回復を待つようお見舞い申し上げたい。
本紙も、本社である神戸・三宮の神戸新聞会館が大きな被害を受けてコンピューターシステムがダウン、当面の間、自社だけの新聞製作が困難になった。読者に多大な迷惑をお掛けする結果になったが、京都新聞社の協力を得て発行を確保、併せて製作体制の早急な復旧に全力を挙げるよう努力している。
それにしても、死者千人を超す震災は、昭和二十三年の福井地震以来の惨事である。
地震の規模はマグニチュード7.2だったが、直下型だっただけに揺れの激しさが記録的なものになったのだろう。
被災地の範囲は、震源の淡路を含め、比較的に限られたが、各地でビルが崩壊、木造家屋も、軒並み倒壊した。あり得ないはずだった阪神高速道やJR山陽新幹線の高架倒壊や陥没も招き、被害を拡大させた。
直下型地震の恐ろしさを、あらためて思い知らされる事態だ。
▼覆った安全神話
しかし、耐震設計が施されていたはずの、これらの都市建造物が、なぜこうももろく崩壊してしまったのか。
多数の通行車両を巻き添えにした阪神高速道路の高架倒壊を例にとっても、耐震性になお多くの課題があることを露呈した。
建設後も、大きな地震災害が発生する度に、被害を参考にして耐震強化が図られてきた高速道の高架である。政府も「世界一の安全性」を強調してきたが”神話”はあっさりと覆させられた。
ビルの倒壊が多発したことも併せ、都市の地震への備えが、根本から間い直しを迫られたとも言えるだろう。単に、今回の被災地だけに限られた問題ではない。日本が、世界でも有数の地震頻発地帯であることを直視して、もう一度、都市構造物の安全基準を見直さなければなるまい。
同時に、今回の災害で悔やまれてならないのは、都道府県の行政区域を越えた広域救援体制が、なお十分とは言い難い状態にあったことだ。
発生直後から多発した火災は、神戸市内だけでも百八十件を超えた。建物の下敷きになるなどして救援活動が急がれる現場も同時にあちこちで起きた。
しかし、これだけの火災の消火や救助活動に、どれだけ即応できていたかは、残念ながらはなはだ心もとない。
火災現場の中には、ほとんど燃えるに任せる状態に陥っているところも見られたし、生き埋めになっている人がいることが分かりながら、救援活動が長時間、手付かずのままになっているような現場も多かった。
むろん、それぞれの市単独で、非常時の消火、救助への対応を期待するのは無理がある。県外から駆け付けてくれた救援チームの活動には心強いものを覚えたが、ふだんから広域的な体制がより十分に整備されておれば、もっとスピーディな対応が期待できたろうし、被害をより少なくすることができたのではないだろうか。
どんなに大地震への備えを固めても、いったん発生すれば、被害は避けられない。苦い教訓として、今後に生かすべき課題であろう。
▼都市の安全重視を
その一方で、主要道路が各地で寸断された影響で、消火や救援活動に向かう車が、渋滞に巻き込まれ、立ち往生する光景があちこちで目立った。被災地域での車の利用は、最小限に抑え、緊急車の活動をできるだけ妨げないようにしたい。余震による新たな被害も予想されるだけに、住民それぞれが、ぜひ心掛けたい点である。
電気やガス、水道、電話など、いわゆるライフラインの確保の面でも、さまざまな問題点をさらけだした。
十八日夜になっても、広い範囲にわたって停電や断水が続いている。電話も依然として通じない地域も多い。
不安と失意の被災者にとって、ライフラインの断絶は耐え難い事態である。
できるだけ早い復旧を期待したいが、災害時に備えての対策は十分だったのだろうか。
被災者を含め、関西には地震がないといった安易感がありはしなかったか。
活断層が、地下を縦横に走る兵庫県である。地震の可能性はいつでもあるし、今回の災害でも、淡路から神戸、阪神方面に走る大きな活断層に沿って被害が集中した。加えて海岸線の軟弱な地盤が被害の拡大につなかったのだろう。液状化現象がもたらしたと見られる被害も目立つ。
詳しい検証が待たれるが、復興に向けての街づくりには、こうした地域特有の条件を十分に配慮していきたい。
二日たっても、街にサイレンが鳴りわたり、余震が絶えない。
いま必要なのは、冷静さを取り戻し、復興への意欲を互いに高めることだ。
1995/1/19