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20年間のプロ野球選手生活を振り返る坂口智隆さん=2022年10月26日、神戸市垂水区の神戸国際大付高(撮影・鈴木雅之)
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20年間のプロ野球選手生活を振り返る坂口智隆さん=2022年10月26日、神戸市垂水区の神戸国際大付高(撮影・鈴木雅之)

■頑張った自分を褒めたい

 引退を決めた坂口智隆(38)は決断後、「体が重くて動かなくなった」という。気持ちで無理をしてきた証しだろう。日本シリーズに進んだヤクルトの仲間を、テレビ解説などの立場で外から見守った。

 発見があった。ずっと「する野球」が好きだった。だから引退したらすべてがなくなるのでは、と悩んだのだが、「見る野球」もまた魅力的だった。

 「両チームの立場で見られる。選手の気持ちと、外からの客観的な見方を照らし合わせるのも面白い。やっぱり野球は楽しい」

 引退しなければ、日本シリーズにも出場できたかもしれない。でも、出たいとは思わなかったという。

 その切り替えの早さはどこからくるのだろう。「それは少年時代からの『自分のための野球』は、とっくの昔にやり切っていたからでは?」と聞いてみると、少し考えて答えた。「そうかもしれない。自分のためだけなら、何年か前に野球を辞めていた。苦しみが一つ消えるわけですから」

 現役時代の終盤は、けがの影響で低迷しても応援してくれる人たちのために「頑張って続けよう」と考えるようになっていた。「近鉄最後の選手」という肩書も「人のため」の一つだ。

 「現役でいれば、メディアに近鉄の名前が出て思い出してもらえる。かつてのファンのためになる。その使命があると思って続けていた」と語る。

 長い痛みに対し、いろんな工夫をしながら「そのとき、そのときで最善を尽くしてきたという自信はある」という。やるだけのことはやったという積み重ねが「自分のための野球」に納得を与えていた。だから未練なく、野球を別の形で愛せるようにもなれた。

 「好きなことに苦しみは付き物」と言う。好きなことで結果が出ないと苦しい。プロでは年俸や進退にも跳ね返る。だから練習する。「『苦しい』にも種類がある。僕の場合は成長に必要なものでもあった。辞書で引く『苦しい』とは、また違う気がします」

 その苦しみを招いた大けがも「勲章」と表現する。「そこからはい上がって成績を出すのは、すごく難しい。でもそこにトライして打ち勝ち、また試合に出られた。自分を褒めてあげたい。これから何かを頑張るときのプラスになる」

 もう一度、野球について聞いてみた。「野球は服みたいなものです。あって当たり前で、なければ慌てて探す。僕にとっては相当身近で、必要なものなんですよね」。今後は指導者の道を目指すという。その野球人生は、まだ折り返したばかりだ。

=一部、敬称略=

=おわり=

【バックナンバー】
(11)引き際。
(10)サポート役。
(9)左手親指骨折。
(8)円熟味。
(7)拾ってもらった。
(6)苦闘の始まり。
(5)築いた個性。
(4)飛躍。
(3)少年の苦悩。
(2)原点。
(1)苦しくても。

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