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引退セレモニーで胴上げされるヤクルトの坂口智隆外野手=2022年10月3日、神宮球場
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引退セレモニーで胴上げされるヤクルトの坂口智隆外野手=2022年10月3日、神宮球場

■すべてなくなる気がして

 坂口智隆(38)にとって、現役最後のシーズンとなった2022年。けがによる痛みは続いていたが「体はここ数年で一番動いていた」という。それでも最終的には引退を決断した。

 なぜか。一つは「あと1、2年はできるな」と考える自分への違和感だった。

 出場機会が減る一方、ヤクルトはリーグを連覇し、若手が台頭してきていた。30代後半のベテランが再起を図る場としては、代打が濃厚だ。その現実にあらがわず、受け入れている自分に気が付いた。これまでずっと、どんな状況でも「絶対にレギュラーを取る」という気持ちで歩んできた野球人生だったのに。

 「レギュラーを目指して練習するから、代打でも結果を出せる。でも最初から気持ちが控えの方に向いていたら、明らかにレギュラーは無理。それは自分のやってきた野球とは違う」

 それに、また大けがをしたら、もうリハビリはできない。三たび苦労を背負うエネルギーは残っていなかった。

 チームへの感謝も背中を押す。長くなった2軍生活で、痛みがあっても体が動いたのは「後輩の前で中途半端なプレーはできない」という思いから。慕ってくれる後輩も増えていた。「彼らに送られて辞めるのも幸せなのでは」。かつて自由契約で拾ってくれた球団への恩もある。ここで終わるという覚悟で入団した以上、他球団で居場所を探すことは考えられなかった。

 葛藤はもちろんあった。野球はずっと人生の中心にいた。それが引退で「すべてなくなってしまいそうで怖かった」という。

 「喜びも苦しみも努力の日々も、自分の中でリセットされてしまう気がして。だから球団に『辞めます』と言うまでが、野球人生で一番苦しかった」と打ち明ける。ただ、気持ちは本人が思う以上に引退へと傾いていた。2軍戦では「ここで打ったら現役を続けよう」と自分に言いながら、打席に立っていた。今思えば「既に答えは出ていた。でもすぐには受け入れられず、現役続行の選択肢をわざとつくっていた」

 小学2年生の頃から愛し続けてきた野球に対し、どう幕を引けば納得できるのか。「もやもやしたまま野球と向き合うのは嫌。自分で決めたい」

 決断のときだった。

 引退セレモニーは2軍と1軍の両方であった。ファンから浴びた拍手や声援は、大けがから復帰するモチベーションだったそれと、同じだった。「すごい幸せでした」。そう言って、坂口はほほ笑んだ。

=一部、敬称略=

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(8)円熟味。
(7)拾ってもらった。
(6)苦闘の始まり。
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