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引退した坂口智隆さんとの思い出を振り返る斎藤行央さん=大阪市城東区
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引退した坂口智隆さんとの思い出を振り返る斎藤行央さん=大阪市城東区

■無理難題に応え痛み軽減

 体中に痛みを抱えながら、坂口智隆(38)はプロでの20年間を生き抜いた。その理由として、連載8回目で「我慢強さ」と「かばう能力」に触れたが、欠かせなかったのは「10の痛みを6にしてくれる」というサポート役だった。大阪市内で整骨院を営む斎藤行央(いくお)さん(45)が、その人だ。

 出会いはオリックス時代の2009年。知人の紹介で訪ねた坂口は、悩んでいた右太もも付け根の痛みが快方に向かったことで、頼りにするようになった。斎藤さんは元ラガーマン。坂口の存在はよく知らなかったが「選手としての伸びしろを感じた。この人に自分の能力を生かすべき」と火が付いた。

 坂口は京セラドーム大阪での試合後に整骨院へ寄るだけでなく、名古屋や広島、北海道などの遠征先に来てもらうよう頼んだこともあった。それも突然、「今から来られますか」と連絡を入れる。むちゃな依頼に思えるが、すべては翌日の試合のため。斎藤さんはできる限り駆けつけ、体をほぐし、はりを打つなどして試合に出られる状態にしてくれた。

 坂口は「先生には何でも話せた」ともいう。親身な人柄に加え、球団の人間ではない安心感もあった。

 チームにもトレーナーはいるが、あまり正直に症状を言うとコーチ陣に伝わって休まされて定位置を失う恐れがあり、真実を隠しながらケアをしてもらう必要がある。坂口は、トレーナーへの伝え方まで斎藤さんに相談していた。

 日々の症状はLINE(ライン)で報告する。斎藤さんの元によく届いた言葉は「これ治りますか」「日にち薬ですか」「慣れますか」だったという。「基本は『大丈夫です』と返していました。不安がらせてはいけないと思って」

 年を重ねると、けがの影響以外に関節の軟骨がすり減ったことによる痛みが出てくる。高齢者と同じ症状でプロ野球選手に共通するものだ。彼らはそれほど体を酷使している。痛みを消し去るのは難しい。

 「痛いのは当たり前、でも体は動くでしょ、と応じていた」と斎藤さん。食事の席で坂口が「一度でいいから、どこも痛くない体で野球をしてみたい」とつぶやいた一言が忘れられないという。

 「なんとかしてあげなきゃ」。斎藤さんの思いは十分に伝わっていた。21年8月、通算1500試合出場を達成した坂口に、斎藤さんは祝福のLINEを送った。すると、こんな言葉が返ってきた。「これは先生の記録です。僕は何もしていません。おめでとうございます」

=一部、敬称略=

【バックナンバー】
(9)左手親指骨折。
(8)円熟味。
(7)拾ってもらった。
(6)苦闘の始まり。
(5)築いた個性。
(4)飛躍。
(3)少年の苦悩。
(2)原点。
(1)苦しくても。

スポーツ坂口智隆の20年
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