■痛みでバット振るのが怖い

　ヤクルトで復調した坂口智隆（３８）は移籍３年目の２０１８年、打率などで自己最高の成績を残す。しかし、好事魔多し。２度目の暗転が訪れたのは、翌年のことだった。３月３１日の開幕３戦目。八回の打席で、左手に死球を受けた。

　球団の発表は単に「左手親指の骨折」だったが、親指の付け根付近の骨が飛び出るほどの大けがだった。「（傷口の）中を洗わなあかん、と言われたときは焦りました」と坂口。５月半ばには１軍に戻ったものの、かつての右肩脱臼のときと同様、その後の成績は落ち込んだ。

　骨折した箇所が問題だった。坂口は左打ち。左手は捕手側にあり、バットで球を打った衝撃を主に受け止める役目を担う。「影響は大きかったのでは」と聞くと、彼は「死球を当てた投手を恨んではいないんですよ」と念を押しながら言った。「影響はでかかった。めちゃくちゃ痛かったです」

　復帰当初はまだ骨がくっついておらず、特に痛みが強かった。ファウル一つでバットが振れなくなるので「１球で前に飛んでくれ」と祈りながらスイングしたという。さらにその痛みが脳に植え付けられ、「次に球がバットに当たるのが怖くなる」。無理に当てにいくと余計に打球が詰まってしまい、また強い衝撃が左手を襲った。

　親指の骨折が治ったのは、７月ごろのことだ。しかし、一度けがをした箇所は痛みに敏感になる。同じ打撃に戻そうとして遠回りした右肩脱臼のときとは異なり、「今回はもう元に戻らないのは分かっていた」。だから変化を模索したのだが、そううまくはいかなかった。

　バットの握り方でいえば、坂口は手のひらを中心に深く握りしめるタイプ。硬いバットのグリップが、ちょうど骨折した箇所に当たるので、より痛みを感じてしまう。指を中心に浅く握る打ち方を試しはしたものの、「バットがうまく握れていないようで気持ち悪くて。無理でした」

　バットと手の間にクッション素材を挟んだが、痛みは消えない。加えて、その１枚が増えたことで「バットを構えたときの感覚が、それまでとは違うんですよ」。クッション素材はなるべく薄く小さく。そんな苦闘は引退まで続いた。

　結局、１９年の出場は２２試合のみ。翌２０年は１１４試合に出たが、打率は２割４分台にとどまった。その後は出場機会が減り、２１年は２５試合、そしてラストシーズンの２２年は２４試合。結果的に、この２度目の大けがが現役引退の引き金になってしまった。＝一部、敬称略＝

【バックナンバー】
(8)円熟味。
(7)拾ってもらった。
(6)苦闘の始まり。
(5)築いた個性。
(4)飛躍。
(3)少年の苦悩。
(2)原点。
(1)苦しくても。