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ヤクルトへの移籍1年目、先制打を放つ坂口智隆外野手=2016年4月20日、甲子園球場
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ヤクルトへの移籍1年目、先制打を放つ坂口智隆外野手=2016年4月20日、甲子園球場

 ■常識破りの対左腕の「こつ」

 ヤクルトで復活した坂口智隆(38)は、30代前半で第2の充実期を迎える。打率は移籍した2016年から3年連続3割前後を維持し、18年は自己最高タイの3割1分7厘をマークした。しかも、20代と異なる円熟味が加わっていた。

 それは四球と三振の傾向に、顕著に表れている。

 坂口が主に担った1番打者は、チャンスメークへ出塁が期待される。三振をせずファウルで粘り、四球を選ぶことも大事な仕事だ。

 だが坂口はオリックスの好調期でも、四球の約1・5倍も三振を喫している。「三振を嫌がると手数が減ってしまう」という積極性が安打を量産した一方、打つには難しい相手の決め球も、粘るよりは「どうやってヒットにしようかと考えていた」。若さゆえの勢いともろさが同居していた。

 だが経験を積んで、四球の貢献度の大きさを再認識する。ファウルで粘るようになり、選球眼も向上して数字は改善。18年は四球数が三振を大きく上回った。

 左打ちに不利とされる左投手も苦にしなくなる。オリックス時代も苦手ではなかったが、移籍後は対戦打率で右投手を圧倒。18年は3割5分と打ちまくった。

 「いっぱい三振をして覚えた」というそのこつが常識破りで、驚かされた。

 左投手は左打者に対し、外角中心に投げてくる。特にストライクから外へ逃げる球は要注意。「後で映像を見たら、とんでもないボール球を空振りしている。逆に厳しい内角球と思ったら、そうでもないことがある」。だから数は少なくても、いつかは来る内角球を待つ。そして右肩を一塁側に早く開いて引っ張る。厳禁とされる打ち方だが「外の球が遠く見えて見逃せる。開いてもいいんです」

 18年には人生初の一塁手も経験した。外野手でゴールデングラブ賞に輝いた名手だけに「嫌だったのでは」と聞くと、「そこまでして試合に出してくれて、ありがたかった」。米大リーグから青木宣親が復帰し、外野は競争が激化していた。見学から始まった挑戦は、根っからの野球好きにとって「内野の感覚も分かってプラスしかなかった」という。

 右肩脱臼以降の痛みが消えたわけではない。それでも「我慢と、かばう能力にはたけていた」。体を巧みに使って出場を続けた。「健康なのに成績が落ちたら終わり。痛くても体は動かせたし、試合も出してもらえた。けがぐらいで諦めたくなかった」。そんな意地にも似た思いが支えとなる。「けががなければ、プロで20年もやれていないと思う」とまで、言った。=一部、敬称略=

【バックナンバー】
(7)拾ってもらった。
(6)苦闘の始まり。
(5)築いた個性。
(4)飛躍。
(3)少年の苦悩。
(2)原点。
(1)苦しくても。

スポーツ坂口智隆の20年
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