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キャンプの練習試合で安打を放ち、コーチとグータッチをするヤクルト坂口智隆外野手=2016年2月13日、沖縄・浦添
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キャンプの練習試合で安打を放ち、コーチとグータッチをするヤクルト坂口智隆外野手=2016年2月13日、沖縄・浦添

 ■新天地、恩返しを胸に復活

 オリックスの中心選手として期待されながら、坂口智隆(38)はけがと打撃不振で4年間、満足に働けなかった。2015年秋、球団から年俸の大幅ダウンを提示される。当時31歳、事実上の戦力外通告だった。

 減棒をのむか、自由契約か。「じゃあ辞めます」。決断まで数分。「球団に愛着はあったけど、体は動くようになってきていた。必要とされるチームでプレーした方がいい」

 とはいえ、獲得する球団はあるのか。「不安もあったのでは?」と聞いてみると、「球場に行かず釣りとかしてて、なんか有意義でしたね」とあっけらかんと返した。

 ただ、恩師の回想とは随分違う。神戸国際大付高の青木尚龍(よしろう)監督(58)は「つらい顔をしていた」と振り返る。練習試合の日に坂口から「先生、どこにおるんですか」「何時に帰ってくるんですか」と連絡があり、会うと「どうしましょう…」と吐露されたという。「おまえなら、声かかるやろ」と励ますしかなかった。

 だから、だろうか。坂口は獲得してくれたヤクルトに「拾ってもらった」との感謝が強い。「新しい環境で勝負をさせてもらえる。『取って良かった』と思われるような活躍で恩返しを」。自分や応援してくれる人たちのため、にもう一つ、頑張る理由が加わった。

 15年オフの自主トレーニングでは例年以上に体をいじめた。照準はキャンプ初実戦の1打席目。レギュラー奪取へ最初の一歩でリードしたい。そして2月13日の練習試合、坂口は第1打席で初球をいきなりレフト前へ運ぶ。オープン戦の打率は4割を超え、定位置を手中にした。

 シーズンに入っても打撃は好調で、その年はチーム最多の141試合に出場し、打率2割9分5厘と鮮やかな復活を遂げる。聞くと、オリックス最終年の頃には復調のきっかけをつかみかけていたという。それまでは、けがで右肩が十分に回らないのに、遠い左肩付近から振り出す打法に戻そうと躍起になっていた。

 だが、長く出口が見えず「吹っ切れた」。右肩の動く範囲内で打つことにし、両手を左胸辺りへ寄せながらも体から離して構えることで、バットの加速や操作のための距離を確保した。「自主トレでいい感覚があった。これでいこう」。新天地に懸ける猛練習も奏功し、好成績につながった。

 「体が元に戻らないんだから、それに合った打ち方を早く見つければよかったんです。ちょっと遠回りだったかな」。今はそう言って苦笑する。=一部、敬称略=

【バックナンバー】
(6)苦闘の始まり。
(5)築いた個性。
(4)飛躍。
(3)少年の苦悩。
(2)原点。
(1)苦しくても。

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