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安打を放つオリックス坂口智隆外野手。この年、最多安打のタイトルを獲得した=2011年4月、京セラドーム大阪
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安打を放つオリックス坂口智隆外野手。この年、最多安打のタイトルを獲得した=2011年4月、京セラドーム大阪

努力花開き、最多安打獲得

 1軍で芽が出ず、野球が仕事になったことにもなじめない。入団した坂口智隆(38)はグラウンドの内外で、プロの洗礼を浴びた。

 それでも、選手としての飛躍への土台づくりは着実に進んでいた。球団合併で移ったオリックスで指導したのが、コーチの米村理(おさむ)さん(63)=現・ノースアジア大明桜高コーチ。線が細かった坂口に「おまえはまだわらや。竹になれ」と説き、スピードやしなやかさを保ちつつ、力強さも求めた。集中的に鍛えたのが肘から手首周辺の筋肉だ。バットを操り強い打球を打つには重要な筋力で、坂口はこれが弱く、1軍投手の速球に力負けしていた。

 高校時代の坂口はトレーニング嫌いだったが、「よねさんは『体をこう使うには、ここを鍛えとけ』と具体的で、すんなり入れた」。ともに明るい性格で気が合うことも大きかった。

 地道な努力はプロ5年目の2007年に結果に表れ始め、この年は46試合に出場して33安打。そして翌年、ついに外野手の定位置を奪う。

 その後も米村さんとの鍛錬は続いた。試合の前も後も指導を仰ぐ。「僕は4打数3安打でも一つの凡退を『なんで』と考えてしまう。コーチの元へ行かないと不安で、助言をもらって楽になりたかった」と話す。

 一方、米村さんは「練習中は声をかけても聞こえないほど集中していた。好きこそ物の上手なれですよ」と振り返る。驚かされたのは、阪神・藤川球児投手と対戦したときのことだ。

 「あんな速い球は当たらんから、球が来る前に空振りして『遅いな』って言うたれ」と声をかけると、坂口が「やってきます」と返し、ベンチは爆笑に包まれた。バッターボックスに立った坂口は、実際にボールが来る前のタイミングでバットを振り、ライトに鋭いライナーを放った。米村さんが練習の成果、何より坂口の野球センスを感じた瞬間だった。

 定位置を取って間もない09年の夏ごろ、発熱して試合出場を迷う坂口に「おまえが出なければほかの選手にチャンスを与えることになるけど、どうする?」と話したことがあった。発奮した坂口はそのまま出場し、安打を放つ。体が動くのならポジションを空けない。米村さんとの日々で芽生えた、厳しい競争社会を生き抜く覚悟は、後にけがとの闘いを支えることになる。

 坂口はこの年、リーグ2位の打率3割1分7厘をマーク。11年には最多安打のタイトルに輝き、一流選手の仲間入りを果たした。=一部、敬称略=

【バックナンバー】
(3)少年の苦悩。
(2)原点。
(1)苦しくても。

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