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引退会見で笑顔を見せる坂口智隆=2022年9月30日、神宮球場
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引退会見で笑顔を見せる坂口智隆=2022年9月30日、神宮球場

振り返ればけがと闘う日々

 昨年9月30日、東京・新宿の神宮球場で1人のプロ野球選手の引退会見が開かれた。スーツ姿で現れたのは、東京ヤクルトスワローズの坂口智隆外野手(38)=兵庫県明石市出身。かつて最多安打のタイトルに輝き、通算1500安打を達成したヒットメーカーで、消滅した近鉄球団の最後の選手としても話題になった。その20年の現役プロ生活に、ついにピリオドを打った。

 未練を感じさせない、すっきりとした表情で臨んだ会見で、耳に残った一言があった。「野球人生を振り返って」との質問に、彼はこう答えたのだ。「苦しくても、やっぱり野球が好きという気持ちはなくならなかった」

 プロでの歩みを振り返れば浮き沈みの連続で、苦しすぎるといってもいい道程だった。

 高校時代にエースとして神戸国際大付高を初の甲子園大会出場に導くと、ドラフト1巡目で指名され、念願のプロ野球選手になる。球団合併で移ったオリックスで頭角を現し、おしゃれな私服姿も相まって「グッチ」の愛称で親しまれた。

 しかし2012年、試合でダイビングキャッチを試みて右肩を脱臼し、靱帯(じんたい)を損傷する。その後は体のあちこちに痛みが走り、打率が2割台前半まで落ち込む年もあった。出場機会は減り、15年には事実上の戦力外として退団の憂き目に遭う。

 移籍先のヤクルトでは再び打率3割を超え復活を遂げるものの、今度は死球で左手親指を骨折し、またもや成績が低迷。現役を退く遠因となった。

 12年に右肩を脱臼した頃から、痛み止めを手放せなくなっていた。しかも思うように効いてくれない。試合前だけでなく、寝る前にも「奇跡的に一瞬痛みが消えへんかな」と念じて飲むのだが、朝起きるとやっぱり痛い。これがほぼ毎日続いたという。近年は首の状態が悪く、専用のコルセットを着けて寝るのが日常化していた。

 プロは結果がすべて。けがは言い訳にはならない。その厳しい世界で、出口が見えない闘いの日々は並大抵の苦労ではなかったはずだ。精神的に疲れ、野球が嫌いになってもおかしくない-。

 そんな勝手な想像と、会見の一言は正反対だった。

 「苦しくても野球が好き」。彼の野球への思いを凝縮したような言葉。その真意に迫りたいと思った。

=一部、敬称略=

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