明石歩道橋事故が起きた朝霧歩道橋(兵庫県明石市大蔵海岸通1)にある慰霊碑「想(おもい)の像」。取材で何度か訪れるうち、うつむき加減でたたずむ少女の装いがしばしば変わっていることに気付いた。
慰霊碑は事故翌年の7月、遺族会「明石歩道橋犠牲者の会」が設置。遺族の男性は除幕に際し「優しい姿の像で、遺族の気持ちが市民に分かってもらえると思う」と話した。毎年7月21日、遺族や市民らが訪れる追悼の場になっている。
いまは赤い水玉の雨がっぱを羽織る像の前で、幾人かに話を聞いた。歩道橋を毎日通るという近所の女性によると、寒い時期には毛糸の服が着せられているという。「誰かが着替えさせてるのやろか」
新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年からは、口元にはマスクが付けられた。像のサイズに合わせた手作りのようにも見える。夏場は涼しげな縁のある帽子、クリスマスシーズンにはサンタ帽を頭に乗せていた。童女像に寄せる愛着が感じ取れた。
一体誰が、いつから-。橋を管理する市や清掃員に取材した。早朝や夕方に何度か通ってみたが「高齢女性の姿を見掛けたことがある」との情報以外、何も分からなかった。
2001年の事故発生から丸20年となった21日午後、歩道橋に立った。海岸へ急ぐ小中学生、レジャーに訪れる若者たち。多くは花や菓子が供えられた献花台に首をかしげ、通り過ぎていく。
歩道橋から見える海は夏の日差しを反射し、橋の上を潮風が吹き抜ける。子ども9人を含む11人が命を落とした現場とは信じがたいほど、静寂に満たされた光景だった。
ふと振り返ると、慰霊碑の前で「ここで大きな事故があったんだよ」と話す父親と、聞き入る幼い男の子の姿が目に留まる。2人はそっと手を合わせた。
家族を失った遺族の悲しみに寄り添い続ける少女像に、季節ごとに服を着せ替えている人も、「忘れないよ」と語り掛けているのだろうか。一度、お目にかかってその思いを聞いてみたかった。(川崎恵莉子)
