ウガンダから帰国して大学に復学し、周りが就職活動の準備を始めている時、私は「今、自分にできること」を考えていた。思い浮かぶのは、東北で出会った方々のことだった。

 大学1年の時、あしなが育英会が主催するつどいで出会った青野史寛さん(ソフトバンク専務執行役員)が掛けてくれた言葉がある。

 「とにかく行動。思ったことは行動から始める人生にしよう」。このフレーズが常に自分の背中を押してくれていた。もう一度、大学を休学し、東北に半年間行くことを決めた。

 私の決断に対し、周りから「えらいね」「すごいね」と言われることが多かったが、ずっとモヤモヤしていた。たしかに普通ではないかもしれない。でもきっと、阪神・淡路大震災の時、神戸を支援してくださった方も、すごいことをしようと思っていたのではなかったはず。「誰かのためになりたい」という思いを行動にする、という連続だったんだろうと思う。

 自分がやってもらったことをやっていく。それが行動の源泉だった。

 そして自分が東北に関わって発信することで、東北のことを知ってもらえるきっかけができる。震災のことを思ってくれる人が増える。そう考え、自分からできる限り発信をしていこうと決めた。

 気づけばインターネットで「東北 支援 子ども」「東北 学生ボランティア」などとリサーチしており、宮城県石巻市雄勝町で子どもの支援を行っていた公益社団法人の取り組みが目に入った。

 自身が阪神・淡路当時、子どもだったからこそできることがあるのかもしれないと思い、代表の方へ思いを込めて長文のメールを送らせていただいたところ、一度、雄勝町に行くことを提案いただいた。

 初めて訪れた雄勝町は、仙台駅から1時間半ほどの場所にあり、視界の先にはきれいな海が広がっていた。まちの中心部は更地になっており、がれきの山が多く残っていた。震災前のまちを想像することができないほどだった。

64人が犠牲になった石巻市立雄勝病院=2011年6月(宮城県石巻市提供)

 64人の命が奪われた市立雄勝病院を目の前にしたときには言葉を失い、涙が流れた。小学校が被災し、多くの家庭が石巻市内の仮設住宅に暮らし、若い人たちの姿を雄勝町内で見ることはほぼなかった。

 私は、山あいの民家に住みながら、半年間、インターン生として活動させていただくことになった。(小島 汀)