東日本大震災から2年後の2013年3月。全国から学生が集まる「いわてGINGA-NETプロジェクト」のボランティア活動で、再び東北を訪れた。

 被災した岩手県釜石市の「沢口製パン」の仮設工場と、併設するカフェのオープンをお手伝いすることになった。

 震災の爪痕が残る釜石のまちにできた仮設工場。そこで出会ったのが、沢口製パンのパパ(澤口和彦さん)とママ(玉枝さん)だった。

 工場や自宅が津波で流された中、工場の復活に奮闘している2人の姿を見て、言葉にできない感情があふれた。

 そして、「地元の人にとって、ホッとできるカフェをつくりたい」というママの言葉を受け、「今できることはなんだろう」と仲間たちと考えた。

 多くの地元のお客様がカフェに来て、喜んでいる-。そんな姿を想像しながら、私たちがしたことは、看板やメニュー作りなど、限られたことだったけれど、パパやママたちの嬉しそうな表情が、ただただ嬉しかった。

パン工場に併設したカフェで、小島汀さんとの交流を語る澤口和彦さんと、玉枝さん=2020年、釜石市鵜住居町

 大変な状況にも関わらず、私たちボランティアの学生に対して、いろんな気遣いをしてくれた2人。私はとにかく、今後も訪れると心に決め、さらには、私の周囲の人に沢口製パンを知ってもらえるようなきっかけを作りたいと思った。

 それ以降、東北に訪れる際には必ず、沢口製パンへ足を運ぶようになった。

 澤口家のパパとママが、関西に来てくれたこともあった。「GINGA-NET」でつながった仲間や舞子高校の先輩、そして私の母らも含め、みんなで一緒に食事をした。

 その時、私の母と澤口家のママが意気投合。初めて会ったとは思えないほど、震災の思いを語り合い、感情を共有し、「震災を経験したことで、こんなにも分かり合えるのだ」と思った。それからは家族ぐるみの付き合いになり、母たちだけで釜石市を訪れるようにもなった。

 私は、舞子高校の先輩の「のどかさん」や東北で出会った仲間たちと、夏に東北を旅行するのが恒例になった。

 澤口家のパパとママは、今では親戚のような存在で、私の人生には欠かせない家族となった。2人や仲間たちと、乾杯をしながら近況を話し、笑い合う時間がとても好きだ。

ラグビー・ワールドカップの会場でボランティアをする小島汀さん=2019年9月、釜石鵜住居復興スタジアム(岩手日報社提供)

 2019年、釜石市の「釜石鵜住居復興スタジアム」がラグビー・ワールドカップの会場になった時には、2人の念願だった飲食ブースへの出店が実現した。

 のどかさんと一緒に私の母も張り切って釜石市のスタジアムに向かい、ホットドッグやビールを販売したのは、最高の思い出だ。

 そして、私たちにとって妹のような存在である澤口家の娘さんの結婚式には、のどかさんとお祝いに駆け付けた。

 震災で失ったものは大きいけれど、こんなにも大切な家族と出会わせてもらったことは、私にとっての宝物だ。(小島 汀)