東北から兵庫に戻り、今後どうやって東北とつながっていこうかと悩んでいる時、舞子高校の先輩で姉のように慕う「のどかさん」から声をかけてもらった。

 「汀、ボランティアバスで一緒に岩手行かへん?」

 何かしたいけれど、どう行動すれば良いか分からない私を気遣っての誘いだったと思う。二つ返事をして、大阪から夜行バスに乗り込んだ。同じ思いを持つ仲間と出会えることもうれしかった。

 当時、岩手県立大学、岩手県社会福祉協議会と県外のNPOが連携して「いわてGINGA-NETプロジェクト」を結成し、全国から学生を集めてボランティア活動を展開していた。その企画に私も参加させてもらった。

 東北に思いを寄せる学生が全国から集まり、1週間ほど岩手県住田町の公民館で寝泊まりしながら、沿岸地域へボランティアへ出向く。「自分たちに何ができるのか?」を試行錯誤し、どんな企画だったら喜んでもらえるのか話し合った。

 「お茶っこ」(東北の地域でお茶会のこと)を考案したり、ゲームを企画したり。特に仮設住宅に住む高齢者の皆さんの話し相手になることや、子どもたちと遊ぶことに全力を注いだ。

 その時は「来て良かった」と思えたが、帰る時になると「一時的な支援に過ぎないな。この1週間で何ができたのだろうか」と自問自答した。

津波で甚大な被害を受けた岩手県釜石市の沿岸部=2011年4月、岩手県釜石市内

 ボランティアをしたことに満足するのは絶対に嫌だった。でも、自分のできるベストが何なのかが分からず、のどかさんの前で涙したこともあった。震災の現実を受け止めきれず、自分が本当に東北の方にとって価値のある時間を届けることができたのか、もんもんとしていた。

 同時に、自身が経験した阪神・淡路大震災から今までを振り返り、気づいたことがあった。震災以降、私が特に支えられたのは、長期的に関わってくださった方々の存在だということ。

 あしなが育英会の職員の先生や学生ボランティアのほか、新聞記事などで遺児の存在を知り、「この子たちを助けたい」とつながってくださった方々がいた。誕生日プレゼントを贈っていただいたり、会いに来てくださったり。1月17日には必ず連絡をもらった。親戚のようにかわいがり、成長を見守ってくださった。ロータリークラブの皆さんにも長く支援いただいた。

 だからこそ私は、30年間ずっと応援し続けてくださる方々に対し「恥じない自分でありたい」と前を向けた。そして何より「忘れられていない」と思えることで、何度も救われた。

 そのことに改めて気づき、東北で出会った方とできる限りつながり続けたいと考えるようになった。自分に何ができるかはまだ見えていなかったけれど、岩手県で出会った村上洋子先生が教えてくれたように「元気な姿を神戸から届けること」だけは忘れずにいたいと思った。(小島 汀)