関西大学文学部へ進学し、2年目の春。大学を1年休学し、アフリカ・ウガンダへの留学することを心に決めた。

 中学生の頃に海外遺児の仲間と出会ってから、「いつか自分の目で世界を見てみたい」という思いがあった。せっかく海外に行くなら、同じように親を亡くした子どもたちの力になることがしたいと思い、「あしなが育英会」の留学制度を利用して、エイズ遺児の支援に関わることができるウガンダへ行くことにした。

 忘れることはない2011年3月11日。東北を東日本大震災が襲った。

 その時、「神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区)にいた私は、友人とテレビを見ながら信じられない光景を目の当たりにした。

 決してひとごとはなく、「また私たちと同じように被災し、親を失う子どもたちがいるのではないか」と、居ても立ってもいられない気持ちになった。

 およそ10日後にはウガンダへの留学を控えていたが、日本がこんな時に留学に行ってもいいのかと葛藤した。

 「自分にできることに全力を尽くすべきだろう」と助言してくれる人がいた。背中を押してもらい、予定通り、ウガンダへ旅立つことになった。

東日本大震災の遺児への支援を呼び掛ける「あしなが育英会」のメンバーら=2011年3月、JR元町駅東口

 それまでは、とにかく街頭に立ち続け、募金を呼びかけた。東北の方々のため、今できることを全力で、と思った。東北に、同じ境遇の「仲間」がいると思うと、言葉にできない感情があった。

 そしてきっと、神戸に住んでいる方は同じ思いを持っているだろうと考え、あしなが育英会の仲間とともに神戸・元町で募金活動を始めた。

 「自身も阪神・淡路大震災で父を失った遺児として、街頭に立たせていただいています。皆さんのお力を貸してください」と呼びかけた。想像以上に多くの方々が共感をし、協力をしてくださった。

 また、羽田空港から出国する前日まで、東京・有楽町で募金活動をした。きっと阪神・淡路の時も、遠くで自分たちのためにこうやって何か支援をしたいという思いで動いてくださった方々がいたんだろう-と、想像をしながら過ごした数日間だった。

 ウガンダから帰ってきたら必ず東北に足を運ぶことを決意し、日本から飛び立った。(小島 汀)