プロ野球阪神タイガースの監督を務めた星野仙一さんともう一人、人生において欠かせない人との出会いがあった。2001年から3年間、選手会長を務めた桧山進次郎さんだ。
桧山さんは「あしなが育英会」の子どもたちを支援しようと、03年以降、「神戸レインボーハウス」(兵庫県東灘区本庄町1)に毎年足を運んでくださった。
大ファンの私は1年に1度お会いできることがうれしくて、その日を迎えるまでに、職員の先生や友人たちと紙吹雪や横断幕を作った。また、ユニホームやタオル、リストバンドなど、桧山さんのグッズを身に付け、甲子園球場の一塁側アルプススタンドに通った。
そして、当時から「ひーやん」と呼ばせていただいた。桧山さんも「みーちゃん」と呼んでくださり、私の成長をずっと見守ってくださった。
「(父の日の)学校の授業参観へ行きましょうか」とまで言ってくださったことがあると、後に母から聞いた。それぐらい親のように私のことを気に掛けていただいたこと、心から感謝している。
ちなみに、高校生の時の私は思春期真っただ中で、急に話さなくなったらしい。そのことを今でも笑いながら話してくださる桧山さん。ある時は、私が出演したラジオ番組にサプライズで登場してくださった。子どもの頃から支えていただいた桧山さんとの思い出は語り尽くせない。
同時に、こうやって自分のことを応援してくださる人たちへ、恥じない人生でありたいと思うようになった。
そして、阪神タイガースに染まった私は大学時代、甲子園球場の売り子のアルバイトに没頭した。大好きな甲子園で憧れの売り子ができることが楽しかった。その頃に仲良くなったお客さんは、今や「甲子園の父ちゃん」とも呼べるような長い付き合いになった。
一塁側アルプススタンドに行けば、甲子園の仲間がいて、いつでも「素の自分」でいられる。そんな時間を過ごさせてもらえることに感謝したい。
一昨年の優勝の日も甲子園で応援していた。38年ぶりの日本一は、誰よりも父が喜んでいると思った。(小島 汀)