阪神・淡路大震災が翌日に起こる1995年1月16日、あなたは何をしていましたか? 寄せられた声を紹介します。(2)は震災当時、26歳以上だった人たちの声です。
■キアヌ・リーブスのビデオ見ていた(当時26歳、神戸市東灘区、女性)
当時三宮のサンプラザにある飲食店に勤務していました。16日も勤務していて、夜に震度1か2くらいの地震があったのを覚えています。職場の人達と「揺れた?」「ん?」みたいなやりとりをした後、その中の1人が「関西は大きい地震は、こーへんで!」って言ってたのをはっきり覚えてます。まさか次の日の早朝にあんな大きな地震が来るなんて誰も思っていなかったと思います。翌17日が休み予定だったので、16日の夜は「夜更かしするぞー」って、当時「スピード」って映画を見てハマってしまったキアヌ・リーブスが出ている映画をレンタルビデオ屋さんで借りて、家で夜中まで見ていました。 こたつにもぐりこんで、そのままうとうとしかけた時、ドーンって下から突き上げるような強い衝撃で目が覚めました。=まきかおりさん(現在50代)
■7人で夕食を食べた(当時27歳、芦屋市、女性)
私、主人、幼稚園の長男、前年10月に生まれたばかりの長女の計4人で、市内の実家へ帰っていました。母と一緒に作った夕食を父、妹と7人でそろって食べました。翌日の主人の出勤時間が遅くでよかったため、そのまま泊まることになりました。=ナナさん(現在50代)
■カニを食べた後、夫と遅くまで電話(当時28歳、神戸市北区、女性)
神戸・三宮の百貨店の販売員だった私は、同じ売り場の人達8人くらいに誘われて急きょカニを食べに行きました。遅くまで楽しく過ごしていました。帰宅してから仕事のファクスを送った後、当時付き合っていた夫と2時くらいまで電話で話しました。=8匹目の猫さん(現在50代)
■妻と梅田でデート(当時28歳、芦屋市、男性)
当時付き合っていた女性(今の妻)と梅田で会い、食事をした。妻を大阪駅で見送った後、帰宅したら父が発熱し、いつもと違う部屋で寝ていた。父がいつも寝ていた場所は地震でタンスが倒れた。=MITOSHINAさん(現在50代)
■結婚式の招待状を投函(当時28歳、神戸市北区、女性)
結婚前で、神戸市須磨区の新居へ夫と掃除に行った。3月に予定していた結婚式の招待状を投函した。式を控え、いよいよ始まる新生活への期待と不安でいっぱいだった。=じゃむさん(現在50代)
■夫と大阪でデート(当時29歳、神戸市垂水区、女性)
1月にしてはとても暖かな日でした。16日はたまたま私も夫も休日になり、大阪南港ATCへ遊びに行きました。汗ばむくらいの気温で、海がきれいでした。ベレー帽を買いました。夫もよく似合うと言ってくれました。私は翌日も休みなのでリラックスして休日を過ごしました。夫は翌日が出勤日だったのでちょっとかわいそうだなと思っていました。=ミリさん(現在50代)
■婚約者の自宅で片付け(当時30歳、神戸市須磨区、女性)
5月に結婚を控えていたので、3連休は婚約者の自宅を片付けていました。彼の自宅は和田岬にあったのですが、新居用にリフォーム中でした。翌日がゴミを出せる日で、大量のゴミ袋を横目に彼とお鍋を食べました。未来の話をたくさんしました。確か午後7時ごろ、前震のような揺れがありました。地下鉄海岸線の工事をしていたのでそのせいかな、でも今日は工事はお休みだよね、と、そんな話をしました。リフォーム中の家は屋根裏にネズミがいたんですが、数日前からいなくなっていました。=こちゃら。さん(現在60代)
■城崎へ日帰り旅行(当時32歳、明石市、女性)
義母の誘いで、朝から親戚5人で城崎へカニを食べに日帰り旅行へ行きました。おなかいっぱいで帰ってきて、待ちかまえていた子どもと主人、義父にカニ鍋の準備をしてたとき、わりと大きな地震がきました。みんなで怖い怖いと言いながら鍋をつつきました。=えみちんさん(現在60代)
■母がわが家に宿泊(当時32歳、神戸市北区、女性)
神戸市垂水区在住の母が、たまたま私の家へ遊びに来ていました。夕方、そろそろ帰宅しようとする母に、娘が「おばあちゃん帰らんといて。もう一つ泊まって」といつになくグズグズ言い出し、母も根負けして「じゃあ1泊だけね」と。母の家は半壊でしたが娘のおかげでけがをせず済みました。=ほわほわさん(現在60代)
■3人の子と須磨離宮公園へ(当時32歳、明石市、女性)
子ども3人を連れて家族で須磨離宮公園へ遊びに行ってました。お弁当を食べ、アスレチックで楽しそうに遊ぶ子ども達の姿を見て幸せだなぁと思っていました。=ぴーちゃんさん(現在60代)
■お七夜の食事(当時32歳、神戸市須磨区、女性)
1月6日に娘が生まれ、16日は両家の両親や家族とお七夜の食事をしました。本来私の母はそのままわが家に泊まる予定でしたが、熱が出たために急きょ広島の実家に父と帰りました。夜、両親の出発を見送った後、良い週末を過ごせたとホッとしたのを覚えています。=カバ子さん(現在60代)
■後輩の結婚式へ大阪に(当時34歳、神戸市垂水区、女性)
後輩の結婚式で大阪へ行き、終わってから大阪見物をして帰ってきました。次の日に震災が起こるなんて夢にも思わず、楽しんで帰ってきました。後輩は新婚旅行に行けずかわいそうでした。=ヨソンさん(現在60代)
■幼稚園でたこ揚げ大会(当時34歳、神戸市北区、男性)
長女が通う幼稚園で、子供と一緒でたこ揚げ大会に参加していた。=sakuraaceさん(現在60代)
■琵琶湖で雪景色を写生(当時34歳、神戸市東灘区、女性)
水彩画教室の先生主催の写生会で15日から1泊2日で琵琶湖へ行っていました。16日は快晴で、琵琶湖に昇る朝日を眺めたり、長靴を履いて雪景色を写生したりした後、楽しくおしゃべりしながら帰途につきました。自宅では琵琶湖で描いた絵と先生から褒められた過去の作品を並べて母に見せ、余韻に浸りました。自宅で湯船に浸かりながら、なんて幸せなんだろうとふと思ったのを今でもよく覚えています。=ピカちゅうさん(現在60代)
■家族で寅さんの映画を見た(当時35歳、神戸市須磨区、女性)
夫と4歳の息子、2歳の息子の4人で寅さんの映画を見に行き、帰りは山陽電鉄月見山駅の近くにあるおすし屋さんでおすしを食べて帰りました。息子達は、映画館での時間がお昼寝タイムになりましたが、家族で楽しい1日を過ごし、明日は職場(保育園)で誕生日会の係だから、がんばろう!と思って帰途につきました。=まりちゃんさん(現在60代)
■日帰り旅行の準備(当時36歳、西宮市、女性)
当時は西宮市の家庭婦人連合バドミントンクラブに所属し、週に2回ほど、午前中に2時間の練習をして楽しく平穏な暮らしをしていました。1月17日はクラブの仲間たちと年に数回の遠足のような日帰り旅行を計画していたので、16日は用意をして早く寝たように思います。=タヒチボラボラさん(現在60代)
■自治会役員の集まりがあった(当時42歳、神戸市垂水区、男性)
地域の自治会の役員6人で正月の集まりがあって、会議の後、おせち料理やお酒をいただいた。=しんちゃんさん(現在70代)
■仲人を務める結婚式の打ち合わせ(当時46歳、神戸市東灘区、男性)
いとこの子の仲人を頼まれたので、妻、長女、次女を交え、めったに食べないすき焼きを囲んでビールを飲みながら結婚式の打ち合わせをしました。片付けは翌日にする予定で、そのまま就寝しました。=平岡正和さん(現在70代)
■常備菜を友人へ届けた(当時47歳、芦屋市、女性)
休み最終日でしたから、常備菜を作り、20年近く親しくしていた友人の家へ届けにいきました。お互い一人住まいで、たわいもない話をしてからまた明日ねと行って別れたのが夕方6時ごろだったと思います。もちろん17日に地震が起きることは想像もできませんでした。そして、その友人が17日に地震で亡くなることも。=匿名(現在70代)
■ガシラが大漁だった(当時48歳、高砂市、男性)
1人で船に乗り、魚釣りへ海に出ました。普段そんなに釣れないガシラが2本のさおに次々かかり、クーラーがいっぱいになったので帰りました。場所は家島諸島の東端にある上島周辺でした。今でも不思議です。=RYOさん(現在70代)
■亡き母のアルバムを整理(当時48歳、神戸市西区、男性)
1月17日は亡き母の一回忌だったので、思い出のアルバムを整理してしのんでいました。=見守りじいじさん(現在70代)