1995年1月16日は月曜日で「成人の日」(15日)の振り替え休日でした。阪神・淡路大震災の発生前日だったこの日、あなたは何をしていましたか? 寄せられた声を紹介します。(1)は震災当時25歳以下だった人たちの声です。

■スケートが滑れるようになった(当時小学2年、宝塚市、女性)

 家族でスケートリンクへ遊びに行きました。前の冬に行った時は滑れなかったけど、この日は滑れるようになりました。帰宅してから「先生あのね」という作文に書きました。翌日先生に見せるのを楽しみにしていました。=梅さん(現在30代)

■スキーをあきらめボウリングへ(当時小学3年、神戸市西区、女性)

 家族4人でハチ北高原へスキーに行ったものの駐車場に入れませんでした。神戸へ戻ってきて、長田のボウリング場で初めてボウリングをしました。夜のデザートに家族でイチゴを食べている時に地震があり、それまで地震をほとんど経験したことがなかったためとても怖かった。連休の最終日だったので、夜眠りにつく前に「学校へ行きたくないなぁ」と思った記憶があります。翌日にあんなことがあったのは自分のせいだと、その後数年間ずっと思い込んで後悔していました=ぷぁ~さん(現在30代)

■書き初め展へ行く計画立てた(当時小学校4年、神戸市灘区、女性)

 書き初め展で銅賞をいただき、三宮のそごうで17日から展示されることを聞いていたので、家族で夕食を食べながら「明日、学校が終わったら作品を見に行こう」と話をしていたことを覚えています。=ともちさん(現在40代)

三宮の顔として広く市民に親しまれた神戸阪急ビル(阪急会館)。震災で損壊し、解体された=1993年4月、神戸市中央区

■漢字テストの返却を心待ちに(当時小学4年、神戸市東灘区、男性)

 とても寒かった記憶があります。少年野球の練習が終わり、明日からまた学校かぁとうれしいような悲しいような気持ちでした。3連休前に100問くらいの漢字テストがあり、100点の自信があったので、早く返却してほしいと思ってました。しかし、結局その漢字テストは返ってきませんでした。=ゆうさん(現在40代)

■長田の街並みと夜景に感嘆(当時小学4年、神戸市須磨区、女性)

 家族4人で神戸市西区へ祖父母のお墓参りに出かけました。帰りの電車で車窓から風景を見ながら「神戸の街はきれいね」と、家族で話しました。帰宅してからもベランダで母と洗濯物を干しながら夜景を見て「長田は家や建物がたくさんあって夜景がきれいだね」と話しました。寝るとき、いつもは、リビングにスリッパを置いたまま寝るのですが、16日は寝室まで履いていったのを覚えています=紅茶の雫さん(現在40代)

■自分の部屋を片付けた(当時小学4年、神戸市須磨区、女性)

 自分の部屋があまりに散らかっていたため、母親から「今日中に絶対に片付けなさい!」と言われ、丸一日かけて全部片付けた。最後に椅子の上にぬいぐるみを座らせて、眠りについた。=あーすーさん(現在40代)

■ゴジラ映画を見た(当時小学4年、明石市、女性)

 家族(父、母、姉、私、いとこの計5人)で映画「ゴジラvsスペースゴジラ」を見に行ったあと、初めてボウリングに行きました。場所は神戸か新開地か新長田かだったと思います。いとこがガター連発で3点だった記憶があります。お出かけして、普段よりめちゃめちゃ楽しい日だった記憶があります。=ともさん(40代)

■京都へ1人で「乗り鉄」に(当時小学6年、神戸市中央区、男性)

 京都市内へ初めて1人で「乗り鉄」に出かけた。阪急電車で三宮~十三~河原町を往復。先頭車両に立って運転席の後方から街並みをジッと見ていた。翌日、まさか街がなくなるとは思わなかったし、京阪神を自由に行き来できなくなるとは夢にも思わなかった。=ひでさん(現在40代)

■友達と食べるクッキーを焼いた(当時高校1年、神戸市北区、女性)

 少し時間があったので姉に教えてもらってクッキーを焼きました。翌日に学校に持っていき、友達と食べようと思っていました。=サオリさん(現在40代)

■なぜか大量のパンを購入(当時高校1年、神戸市須磨区、女性)

 家族と近所のショッピングセンターへ買い物に行きました。翌日のパンを買うのが恒例でしたが、その日に限ってなぜか数日分の大量のパンを購入しました。そして家に帰ってからは、母がなぜか鍋一杯のおぜんざいを作ってくれました。夜に勉強机に向かっていたところ小さな揺れがあり、勉強机が傾いてとっさに両手で机を押さえた記憶があります。パンとおぜんざいは、翌日以降の貴重な食料になりました。=とっとさん(現在40代)

■修学旅行が楽しみだった(当時高校2年、神戸市長田区、女性)

 18日から予定されていた修学旅行に行くための荷物をまとめていました。修学旅行はスキーで、仲の良いクラスメートと同じ部屋だったので、どんな楽しいことが起きるかワクワクしていました。=さくかずさん(現在40代)

■センター試験の「お疲れさん会」(当時高校3年、明石市、男性)

 大学入試センター試験の直後でした。私は前年12月に進学先が決定していたため受験はしませんでした。高校のクラスメートの多くがセンター試験を受けたため、三宮で「カラオケお疲れさん会」を開催しました。20人ぐらいのクラスメートが集い、試験の出来や進学先のこと、将来の夢などを語り合いました。午後10時ごろには帰宅しましたが、今でもその夜のことはよく覚えています。=松本圭司さん(現在40代)

■妊娠が判明した(当時18歳、神戸市西区、女性)

 交際5年目だった遠距離恋愛中の彼(今の夫)を新神戸駅まで見送った後、ふと生理が遅れていることに気づき検査をしてみるとまさかの陽性でした。彼から「家に着いた」と連絡をもらったときに報告しました。彼は「なんで今言うねん」と驚きながらも「産もう」と喜んでくれて、翌日の始発で戻ってきて私の親に一緒に話してくれると言ってもらいました。翌朝、地震のどさくさで母に妊娠を報告。彼は愛知から30時間かけて会いに来てくれました。=ちぃさん(現在40代)

■未来を思い描きながら振り袖を干した(当時19歳、神戸市垂水区、女性)

 15日の成人式で着たお気に入りの振り袖を干しながら「次に着るのは友人の結婚式かな。既婚者になったら袖を短くできるデザインだからそれまで大切にしたいな」と、前日の思い出と未来のことを考えて明るい気持ちで過ごしていました。あと1日部屋干しをして翌日に片付ける予定だった振り袖は、震災で、はがれた土壁を多少かぶったものの、きれいなままでした。=ろくさん(現在40代)

■誕生日ケーキを作った(当時19歳、神戸市東灘区、女性)

 16日は私の誕生日で、ケーキをたくさん作って近所のお友達を呼んで家族と一緒においしい時間を過ごしていました。震災が起きた後、自分の誕生日のために作ったケーキの残りを食べました。=NYさん(40代)

■成人を祝い友人とパーティー(当時20歳、西宮市、女性)

 美容師をしていたため、15日の成人式は少しだけの参加になり、16日は友人と再度お祝いのパーティーをしていました。=ゆきねぇさん(現在40代)

■スノーブーツを買った(当時20歳、神戸市須磨区、男性)

 成人式のお祝い金でスキーブーツを買いに行きました。翌日、そのブーツでがれきの中を板宿小学校に避難しました。震災で亡くなった友人がいるので、成人式でみんなと写真を撮っておけば良かった=臼井岳人さん(現在50代)

■三宮で合コンだった(当時21歳、淡路島、女性)

 三宮で合コンがあり、そこで知り合った須磨の人が車で来ているというので、鷹取(須磨港)の船乗り場まで送ってもらった。寒かったため船が来るまで車でお互いのことをしゃべっていて、電話番号を交換した。=しょうゆさん(50代)

■市村正親さんのステージで夢心地に(当時22歳、宝塚市、女性)

 当時大学4年だった私は卒論を提出し終え、社会人になる前の最後の猶予を楽しむべく、きらきらした日々を堪能していた。16日は新神戸オリエンタル劇場で市村正親さん主演の「スクルージ」を見た。生まれて初めての舞台は圧倒的で、演技も装置も音響も照明も「こんな世界あるんだ!」とまさに夢心地だった。=とんこるさん(現在50代)

震災発生8日前。例年通りの宵えびすが開かれた=1995年1月9日、神戸市兵庫区、柳原蛭子神社

■職場の先輩の結婚式(当時23歳、神戸市灘区、女性)

 職場の先輩の結婚式へ、神戸・京町のオリエンタルホテルへ行きました。披露宴には振り袖で出て、三宮のコインロッカーに振り袖一式を預けて2次会は洋服で。ジャズの名門店へも行ったと思います。三宮に置いた荷物は取らずに帰宅。「明日は仕事が休みだから、あとで取りに行けばいいわ!」と思ったのを鮮明に覚えています。預けた振り袖は、だいぶたってから無事に戻ってきましたが「持って帰っていればよかったー」とずいぶん心配しました。=もっちーさん(50代)

■結婚式の打ち合わせ(当時24歳、加古郡、女性)

 1カ月後に控えた神戸北野での結婚式の打ち合わせなどがあり、夫の実家(六甲アイランド)に泊まりました。まだまだ打ち合わせや準備があったので「また来週も泊まります」と話していました。結婚式は会場のスタッフのご尽力により予定の日程で行う事ができました。招待客はなく、家族だけとなりましたが、プランナーの方々やレストランのシェフやスタッフ全ての方が涙を流してお祝いしてくださった事を今でも忘れる事はありません。=おーりさん(現在50代)

■祖母の言葉 鮮明に記憶(当時24歳、神戸市長田区、男性)

 なぜか突発的に部屋の片付けをして、不要になった雑誌などを買い取り業者へ売った後、家に戻りました。普段通りに夕食を食べ、銭湯への道を歩いていると、先に銭湯に行っていた祖母に出会いました。「今からお風呂かい?」と聞かれましたが、当時はコミュニケーションをとるのか苦手だったので愛想なくうなずいて返事しました。祖母が「気をつけてね! さよなら!」と言ったので、なんでさよならなんやろ…おやすみじゃないんや…と思いながら銭湯に行き、戻ってからしばらくして布団に入ったのは鮮明に覚えています。震災で祖母は亡くなり「もっと楽しく会話すればよかった」と思い続けています。=小嶋克文さん(現在50代)

■ビリー・ジョエルを聴きながら(当時24歳、神戸市東灘区)

 音楽好きで、当時特に気に入っていたのがビリー・ジョエルでした。大阪での来日公演(18、19日)に行けないことがすでに決まっていて、1人すねていました。16日の日中に三宮へ出かけ「せめて、ビリー・ジョエルの何かを」と、街にいくつかあった中古レコード屋さんを巡りました。今まで探しても見つからなかったセカンドアルバムを見つけることができ、うれしく踊る気持ちで晩酌用の酒を買いに元町の酒屋さんへ向かいました。当時ビリー・ジョエルと同じ位に好きだったズブロッカというウオッカを手に、御影の実家へ帰りました。既に持っていたアルバムを聴きながらズブロッカを入れたグラスを空けていき、「いよいよ」と買ってきたアルバムを聴き出しました。その頃には酔いが回っています。1人酔っぱらっている時に流れてきた「ピアノマン」に「やっぱりえぇ曲やなぁ」と思いながら、ビリー・ジョエルの来日公演に思いをはせていました。酔っぱらいながらそのまま寝てしまいそうになったので「アカン、風邪ひく」と、ベッドに滑り込みました。酔いながら眠りにつく、いつもの夜でした。実家での最後の夜になるなんて夢にも思わない、いつもの夜でした。=伊藤さん(現在50代)

震災前の鷹取地区=1994年5月28日、神戸市長田区

■自宅から夜景を眺めていた(当時24歳、明石市、男性)

 夜、自宅の2階から酎ハイを飲みながら淡路島、明石大橋を眺めていました。東の夜景はオレンジ色の空でなんやろ?と不思議に思っていたのを覚えています。=ヒロさん(現在50代)

■家族でカレーを食べた(当時25歳、伊丹市、女性)

 生後半年の子供の世話をしながら2人目を妊娠中でした。1月16日、主人は夜勤明けで昼過ぎに帰ってきて、昼食を食べたら寝てしまいました。私は子供を抱っこしてコープへ買い物に行き、夕方からカレーを作って食べたように覚えてます。私の会話はもっぱら子供のことでしたが、主人はゲームに夢中であまり興味がない様子でした。=のりたまさん(現在50代)