阪神・淡路大震災当時、3歳だった私は、多くの人の支えがあって今日を迎えることができている。
父の命を奪った震災から教えてもらったのは「出会いの尊さ」だった。
いつか自分の言葉で今の思いをつづりたいという気持ちがあった。
私には当時の記憶はほとんどない。ただ多くの人の命や日常を奪った震災を「忘れてほしくない」という思いで、自分なりに震災を語ってきた。
そんな自分が何を継承していくことができるのか、何を語るべきなのか、何度も自問自答しながら向き合ってきた。
時には私に語れることなんてほとんどない、と思うことも多かった。
そんな私の背中を押してくれたのは、高校の恩師の言葉だった。
「周りの人から聞いたことを語るのも語り継ぎである。その時の感情を話せば伝わる。語りに正解はない」
それから、「自分が震災後、どう生きてきたのかを語ればいい」と心に決めてから、とても気が軽くなった。
私がここまで語り継いできたのは、震災後、今までの私をつくってきた人との出会いそのものだった。
震災当時を語れなくても、「この30年間をどう生きてきたのか」をつづることで、さまざまな被災地の方々へ、「何か」を届けられるかもしれない。
これまで出会った方々への恩返しになるのかもしれない。メディアを通して私の活動を知り、応援してくださった方々へ、渡せるものがあるのかもしれない。震災を知らない人へ、震災を知ってもらうきっかけを届けられるのかもしれない。
そんな思いで、言葉を紡ぎたいと思った。(小島 汀)