「あしなが育英会」が主催する夏のキャンプに、親を亡くした海外の遺児が招待され、ともに1週間を過ごした。私が中学生の時だ。
同じ班になったのは、2001年に米国で起きた同時多発テロで父を亡くした少年と、イラクで紛争により父を亡くし、自身も地雷で片足を失い義足で歩く少年だった。
昼間は一緒に海に入ったり、カレーを作るなどし、思いっきり遊んだ。
そして、夜には「自分史語り」の時間があった。家族や亡くなった親のことを思いのままに語り合うというものだ。
これまで、あしなが育英会の「つどい」に参加してきたが、ほとんど自分の思いを語ることはしてこなかった。
何を話せばいいか分からなかったから、ほぼ「パス」をして、周りの子たちの話を聞くことばかりだった。
この自分史語りの日、世界で、さまざまな理由で、親を亡くした仲間の心の内を初めて聞いた。
災害ではなく人災によって親を亡くしたことの憎しみ。それは、想像がつかないほどの深い傷だった。
同時に、「仲間がいるんだ。一人じゃないんだ」と思えた。
親を亡くした理由は違っても、通ずる感情は多くあった。私自身も、これまで父がいない生活をしてきたことの葛藤、いろんな感情と戦ってきたことを、初めてありのままに話すことができた。
自分でも驚くほどに涙があふれ、震災遺児の「お姉ちゃん」のような存在の人と一緒に、コテージの外で泣いた。
高校生の時には、スマトラ島沖地震(2004年)で親を亡くした仲間との出会いもあった。
英語が話せない自分だったが、何か分かり合えるような感情があった。この頃から、遠いと感じていた世界が近く思えるようになり、いつか世界を見てみたいと思うようになった。(小島 汀)