
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県の淡路島北部を震源とする阪神・淡路大震災が起きました。最大震度は史上初の「7」。神戸・阪神間や淡路島などで6434人が亡くなりました。ロックバンド「黒猫CHELSEA」のボーカルで、NHK大河ドラマなど多くのドラマに出演する渡辺大知さん(34)は4歳で震災を経験しました。
-地震が起きた時は、神戸市北区の一軒家の2階で寝ていたそうですね。
「揺れをすごく覚えています。下からつき上げるような。爆発が起こったみたいな。東日本大震災(2011年)の時は東京にいましたが、横に揺れて、だんだん強くなっていた印象でした。阪神・淡路は下から1発でかいのが、何の前ぶれもなくきた感じです」

4歳の時に経験した阪神・淡路大震災について話す渡辺大知さん=東京都内 「母親がぼくと弟の上におおいかぶさって、守ろうとしてくれました。その近くで鏡台がたおれたことを強烈に覚えています。1階は洗濯機の排水管に亀裂が入り、水びたしになりました。ふろ場が使えなくなり、食器とかも全部割れました」
「阪神・淡路が起こった日の記憶が強烈で、その日から自分の記憶がスタートしている感じです。阪神・淡路前の記憶は断片的ですが、阪神・淡路からは細かく覚えています」
-それからは?
「人の家に上がりこんでふろを借りるとか、給水車から水もらうとか、自分にとってはちょっとアドベンチャーというか、そういう感じもありました。母親が、被害が大きかった所にボランティアに行っていたので、ぼくもそこに付いていき、仮設住宅とかに出入りしていました。仮設住宅でおかしを配る係だったり。みんな気が立っているというか、ピリピリした空気は感じましたね」
「震災は印象としては強烈ですが、子どもだったぼくはそれがどれぐらい大変なことか分からない。『これは何だろう』という感じ。どういうことが起こって、こっからどうなるんだろう、と。ぼくはとにかく親が大変そうにしているのを見て、大変なことだと認識していました」

6歳のころの渡辺大知さん(提供) 「当時の親は今のぼくぐらいの年齢なんです。きつかっただろうなと、今、改めて思います。自分が大きくなるにつれ、あのときの母親はこういう気持ちだったんじゃないかなとか、自分だったらどういう行動がとれるかな、と想像するようになりました」
-小中高校を神戸で過ごし、ロックバンド「黒猫チェルシー」<当時>を結成しました。2010年にメジャーデビューし、16年に神戸市兵庫区のノエビアスタジアム神戸で開かれた成人式で、「しあわせ運べるように」を歌いました。この曲は、ご自身にとってどんな曲ですか?
「小学校の時、(震災の起きた)1月あたりは課題曲として毎年、みんなで合唱するのが定番でした。初めて曲を聞いた時のことを覚えています。いい曲だな、いいメロディーだなって。歌ったら、自然とそのときの記憶がよみがえってくるような」
「大人になってバンドを組み、自分から発信できる立場になった時、神戸で育ったバンドとして、『しあわせ運べるように』という曲があるということを知ってもらいたいという気持ちになりました。思い入れがあります。子どもの時は課題曲として歌わされていた感じだったので、大きな変化です」
-渡辺さんが歌う「しあわせ-」は、インターネットで配信されています。
「自分が育ったまちの名前をさけぶ。急に校歌みたいな気持ちになるというか…。照れくささはありますけど、発信することで震災のことを『知りたい』と思ってもらえるかもしれないし、(災害の)事前準備として何が必要かを考える力を生み出すきっかけになるかもしれないし。震災が起こると、くやしい思いをしないといけないことがすごくたくさんあると思いますが、そういう思いをしてほしくないです」

インタビューに応じた渡辺大知さん=東京都内 -俳優として多くのドラマに出演し、15年のNHKドラマ「LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うこと」では、阪神・淡路で兄を亡くした教師を演じました。
東日本大震災後、福島県から神戸に移り住んだ女子高校生と、渡辺さんが演じる教師らが、原発事故で立ち入りの制限されたふるさとを目指す物語です。おたがいのことは分からないし、ぶつかることもあるけれど、そばにいる。「分からない」ことについて、渡辺さんはどう思いますか?
「分からないということは、まったく悪いことじゃないし、分かった気になるよりいい。分からないからといって閉ざすのはネガティブですけど、一番大事なのは、分かりたいか、分かろうとすることだと思っています」
「住んでる場所とか、被害を受けたことがないからとか、そういうことではないと思います。例えば、スペインで大規模な洪水があった時、友だちもいないし『知りません』ではなくて、分からないのは当然としても、なんでこういうことが起こってるんだろうとか、疑問を持つことはすごく大事だと思います」
「震災の経験をしていない人たちが被害について疑問に持ってくれたなら、ぼくはそれに答えられる状態でいたいと思います。震災は、次に、だれが、まきこまれるか分かりません。だから事前にこういう準備が必要なんじゃないかとか、そういう話し合いをすることが第一歩だと思います」
-2025年1月で震災から30年。今の兵庫の子どもたちは、阪神・淡路大震災を経験していません。
「あんまり、阪神・淡路の経験にこだわらないほうがいいんじゃないですか? 今の子どもたちは、阪神・淡路は経験してないですけど、でも、震災は各地で起こっています。ほかのアジアの国とかでも。そして、日本に住んでいれば、そういう予期せぬことが起こりかねない。知らない地域で地震が起こった時、『何かできることあるかな』とか考えてみて、友だち1人にでも伝えてみる。意見を言うのはすごく勇気がいるけど、意見はちがって当たり前。一番良くないのは話さなくなることだと思います」

ミュージシャンとして、俳優として多彩に活動する渡辺大知さん=東京都内 「ぼくは、能登半島地震の時、正直、怒りの気持ちが芽生えました。支援の動きの遅さとか。ぼくはこの10年で、そういうことについて今までより人に話すようになったかもしれません。家で1人でプンスカするんじゃなく、だれかに言ってみる。それをやめてしまうと、結局、いろんなものが遠くなって、震災がなかったことになっていく気がするんですよね」
(聞き手・中島摩子)
【わたなべ・だいち】1990年生まれ。神戸育ち。高校在学中にロックバンド「黒猫チェルシー」を結成し、2010年メジャーデビュー。俳優としては映画「色即ぜねれえしょん」(09年)で日本アカデミー賞・新人俳優賞。NHKのドラマ「カーネーション」「青天を衝け」「光る君へ」など出演多数。
=記事内容は2024年12月時点です。
