阪神・淡路大震災の発生直後、ラジオ関西(神戸市中央区)は神戸・長田の火災現場から生中継を行いました。「息子が一人、死んでると思う」。長男を亡くした住民男性の語りに「えっ…」と絶句する記者。保存されている音源から、約3分のやりとりを聞くことができます。

■「もう親父、逃げてくれ」迫る火、まだ長男が 音声からにじむ父の無念

 阪神・淡路大震災の発生直後、神戸市長田区の火災現場から生中継したラジオ関西(同市中央区)の放送音源が、同社に保存されている。「息子が一人、もう死んでると思うねん。出されへんかったんですわ」。長男を亡くした男性の語りに、「えっ…」と絶句する記者の声。約3分のやりとりからは、激しく燃え広がる火災に、なすすべもなかった父の無念が伝わってくる。

 震災は1995年1月17日の午前5時46分に発生。当時、同市須磨区に本社があったラジオ関西は情報番組を生放送中だったが、地震で停止した。

 しばらくたって放送を再開。午前7時20分ごろ、長田区若松町に入ったラジオカーと中継がつながった。保存音声はそのリポートから始まる。

 「私のすぐ前、200メートルぐらいが全部火に包まれております。消防車はまったく一台も来ておりません」

 記者が手にけがをしている住民に声をかけた。「家は全焼してもた」と答えたのは、同町に住んでいた高橋富二朗さん。続けて家族の安否を聞かれた富二朗さんは、長男の修(おさむ)さん=当時(39)=が倒壊した建物の下敷きになり、そのまま火災にのまれたことを話した。

17日午前、神戸市長田区の若松町付近

 「足は出るんやけど、あとが出なかった」。なんとか修さんを助けようとしたが難しく、火が迫ってくる。修さんは「もう親父、逃げてくれ」と言ったという。

 「目の前で見殺しですわ。この火事だけなかったらね。助かったんやけどね」(富二朗さん)。記者は「何とも表現のしようのない状況です」と言って、中継を終えた。

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 修さんの弟で富二朗さんの次男である学さん(66)は、父の心境を推し量る。「自分の力ではどうしようもなかったが、ずっと助けられなかったことを後悔し、つらい気持ちを抱えていたと思う」。ただ、2012年に81歳で亡くなった富二朗さんが、当時のことを話すことはあまりなかった。

亡くなった高橋修さんの弟・学さん。父・富二朗さんの心境を推し量った=神戸市長田区若松町

 学さんによると、兄の修さんはパン職人で、あの日は富二朗さんと営むパン店でまだ暗いうちから開店準備をしていたという。激しい揺れで1階が押しつぶされ、修さんが下敷きに。その後は、ラジオ中継で富二朗さんが語った通りだ。

 当時の音声は、学さんやラジオ関西の協力を得て、神戸新聞電子版NEXTの特設サイト「1・17つなぐプロジェクト」で聞くことができる。

 震災から30年。学さんは「災害はいつ来るか分からず、明日、何が起こるか分からない。そのことが若い世代にも伝わってほしい」と話す。(中島摩子)

◆◆記録音声の詳細◆◆

 ラジオ関西の記者 私は、長田区の若松町11丁目の火事現場の目の前に来ております。時折、小さな爆発が起きてですね。10丁目の辺りから順に、西へ大きく広がっておりまして、私のすぐ目の前、おおよそですね、200メートルぐらいが全部火に包まれております。ただ、消防車は全く1台も来ておりません。火災です。大火災の状況で、このままいきますと、辺りが倒壊した家屋、木造家屋ばかりですので、延焼が避けられない状況です。

ラジオ関西の屋上から見えた長田区の火災=17日午前9時半ごろ、神戸市須磨区行幸町から

 記者 東の方から西の方へ、若松10丁目から11丁目の方へ広がっておりまして。小さな爆発が連続して起きております。倒壊した木造家屋が周囲いっぱいですので、このままいきますと、消防車の到着もまだですので、火の手はですね、拡大せざるを得ないというのも。それからすぐ近くにですね、この近くの住人の方で、手に大けがされてる方がいらっしゃいますが…これはあの、どうしてけがされたんです?

 高橋富二朗さん ガラスで。

 記者 ガラスで。割れて? おけがはそれだけですか。

 高橋さん 手だけやね。

息子が亡くなったことを、ラジオ関西の中継で話した高橋富二朗さん(遺族提供)

 記者 この火事はいつぐらいから出たんですか。

 高橋さん どうなんやろ。地震が揺れだして、まなしから。私の家は全焼してもたけどね。

 記者 お宅はもう全焼した。どこら辺にあった?

 高橋さん 10丁目です。

 記者 家族の方は?

 高橋さん 息子が1人、もう死んでると思うねん。

 記者 えっ…?

阪神・淡路大震災で亡くなった高橋修さん(遺族提供)

 高橋さん 下敷きになっとるから。出されへんかったんですわ。

 記者 何歳?

 高橋さん 38か。

 記者 まだ安否が分かんない?

 高橋さん もう、もう焼けたから、もう死んだと思いますわ。もうちょっとこうね。足は出るんやけど、あとが出なかった。

 記者 お父さんは足まではつかんで、息子さんを引っ張り出そうとされたけど…、何かの下敷きになったんですか?

 高橋さん そうそう。結局、そのうち火がどんどん来たもんやからね、「もう親父逃げてくれ」言うて。

若松町付近の火災=17日午前、神戸市長田区野田町から

 記者 息子さんが、そうおっしゃって。

 高橋さん 目の前で見殺しですわ。この火事だけなかったらね。助かったんやけどね。

 記者 はーー、そうですか。…という状況でしてね。はい。とにかくちょっと何とも表現のしようのないような状況が目の当たりです。すぐ10メートル先で、まだ火は燃えさかっておりますので、このままでいきますと、長田の若松町のかいわいは極めてですね、悲惨な状況になるのではないかというふうに思います。消防車はまだ一度も来ておりません。

阪神・淡路大震災で火災があったことを伝える慰霊碑=神戸市長田区若松町