2024年8月に神戸新聞社で開かれた「第2回こども震災学校」では、震災で両親を亡くした和氣光代さんと、小学2年のときに被災した岸本くるみさんのお話を聞きました。参加した子どもたちの感想文を、一部抜粋して紹介します(漢字などの一部を新聞表記に合わせて直しています)。
◇神戸市北区 中学2年 河野史花さん
「地震の話を通して」
私は当たり前と感じていたものが一瞬にしてなくなってしまう恐怖やつらさなどを、今日の話を聞いて思いました。
いつも通りの日々が、この先もおとずれると思いながら毎日を送っていたのに、突然そのいつも通りの日々がいつも通りじゃなくなってしまう。いつも通りというのは、ご飯を食べて、家族や友だちと話をして、温かいお風呂に入れるという、日々の生活には欠かせないものです。
そのようなことが、たった1秒も数えられないうちに変わってしまったと考えると、「そんなことって、本当にあったの?」と疑ってしまいました。水も電気もガスも使えなくなってしまった日々は、どのように生きていったのか不思議に感じました。
ですが、何よりも当たり前にいた人がいなくなってしまうことが、話を聞いていくうちに私は考えられませんでした。普段、いろんな感情で話をし合う友だちがいなくなってしまうと考えるととてもつらいし、友だちという存在は私にとって大切な存在なんだと気付きました。
地震は、たくさんの人々や物を奪いました。しかし、地震により気付くこともあると私は思いました。当たり前の日々、いつも通りと思っていた日々は「幸せで大切な日々」なのかなと思いました。そして、この「幸せで大切な日々」はみんなでつくり、つないでいく日々なのかなと私は思います。
この話を聞いて地震への対策を行うことと、いつもの幸せな日々に感謝をしながら生きていくことを大切にしていきたいと感じました。
◇明石市 小学6年 桑名舞さん
「私の夢」
私は、この災害教室に行くまでじしんのこわさやつらさをあまり実感することはありませんでした。じしんのニュースなどはよく見かけたけど、心からじしんのことについて思ったことはなかったはずです。
しかし、今日の災害教室で私は大きく心を動かされました。同じクラスだった男の子の話を聞いて、いまあることは当たり前ではないことが分かりました。そのような話を聞いて、私は災害ボランティアに興味を持ちました。いまは、まだ小学生だから、ボランティアに参加することはできませんが、大学生などになったら、災害ボランティアをしようと思います。
私の夢は、ほかにも夢がありますが、今日の話を聞いてひさいした方が元気になれるようなボランティアをして、さらには、被災した町を元気づけることです。そのために私は地震のことをもっと知ろうと思います。
◇明石市 小学6年 本田弥恵さん
「阪神・淡路大震災をのりこえた神戸」
私は、阪神・淡路大震災を経験していないけど、被災した方から話を聞いて「生まれてなかったから関係ない」と思っていたことは、どこかで関係してるんだなと思えました。
例、今回話を聞いた阪神・淡路大震災だったら、たくさんの人が亡くなり、たくさんの人がつらい思いや、悲しい思いをしたことです。
岸本さんが水をくみに行くのが嫌だったと言っていたことや、和氣さんが言っていた、父と母を亡くしたことは、私と重ねたら、全部あきらめていたかもしれないなと思います。
だけど、つらいや悲しいを感じながらも「神戸の町を元にもどして、もう一度住みたい」という気持ちがたくさんあって、それを行動にした人たちがいたから、いまの神戸があると実感しました。
阪神・淡路大震災は人々を苦しませただけではなく、皆で一緒にいるありがたさや、日々どれだけゆだんして過ごしていたかを教えてくれた地震だったと思います。
これからの大地震にそなえて、亡くならなくていい人をたくさん守って、皆で大災害に勝ちたいです。
◇神戸市須磨区 小学5年 大西凜さん
「未来を明るくするために」
私は、じしんはこわくないものだと思っていたけれど、お話を聞いてじしんが起きて火事になったりして、たくさんの人がしんだということが分かりました。物を整理したり、強くしたりして少しでも人の命を守りたいです。
お話を聞いて身近にある段ボールでもタンスや物がたおれたりするのをふせげるので、試してみたいと思いました。それをすることで何人かの命を守れると思うので、とても大切だと思いました。
◇淡路市 小学5年 上田楓さん
「阪神・淡路大震災の話を聞いて」
私は8月3日に「こども震災学校」に行きました。そこで、2人の語り部さんに話を聞きました。
まず、和氣光代さんに話を聞きました。阪神・淡路大震災は何人も死者が出て、すごくこわいというのは学校で聞いたことがあるのですが、まっすぐ歩けないぐらいい力が強かったのは初めて知りました。それに、お父さんとお母さんが亡くなってしまった悲しみは、ぜったいに心に残る、一生消えないきずができてしまうと思うので、もう考えたくないけれど、災害が起きたら、ありえなくもないことだということを感じました。
次に、岸本くるみさんに話を聞きました。タンスの場所がいどうしているなんてそうぞうできないのに、そんなことも阪神・淡路大震災はできてしまうなんて、とてもびっくりして、こわくなりました。ネコでも大切な家族が死んでしまうのはつらいと思います。でもそれを経験した人にしか分からない、悲しさもあると私は思っています。私も犬をかっていますが、死んだらいやだと思います。
それに、私は「支えられている」といえば、家族だと答えていましたが、見えないところで、野菜の農家の人や、私のヘアゴムを作っている人、ほかにもいっぱい支えてくれてるんだなと知りました。知ったというより、分かっていたけど忘れかけていたので良かったです。
まとめると、地震のことは考えたくないけれど、目をそらしてはいけない問題だと分かりました。それと、私には一番大切なものが五つぐらいあるのですが、一つに決められません。でも、全部大切に、これからも楽しく生きていきたいと思います。でも、助かったりしたのは、となりや近所の人が手伝ったり、一緒にひなんしてくれたりするだけで安心するので、近所の人と知り合いになっておこうと思います。
◇西宮市 小学5年 横田あかりさん
「こわい」
お話を聞いて最初に思ったことは、「こわい」です。理由は家の家具などがたおれてしまったり、一階がなくなったりとありえないことが起こるからです。
私は地震が起きてほしくありません。けれど、いつか必ず地震は起きます。起こったとき、地震の被害を広げたくないし、大切な友だちを失いたくありません。
そのために、防災グッズをそろえたり、毎日を楽しく過ごしたりしたいです。
◇明石市 小学5年 小川翔大さん(二つ分)
「もし災害が起こったら」
僕は、大雨や地すべり、土砂くずれや地震など、どんな災害が起こってもひなんすべきだと思う。なぜなら災害時は正常性バイアスが働き、自分は大丈夫と無意識にそう思い込んでしまう。もしそうではなくなってしまってからではおそい。そういうことを防ぐためにも災害が発生したら避難するべきだと思う。
実際にも、孫が「逃げないと死んじゃう」と言ってしかたなく皆逃げたら助かったという事例がある。
だからこそ災害が起きたらすぐ避難するべきだと思う。
「僕が考える災害時の対策」
この「阪神・淡路大震災の経験を未来へ」に参加して、地震に備える対策で、家具の固定や家具の配置の工夫などがあることを学んだ。
僕が考える地震への対策では、親戚やかかりつけの病院やガス、電力会社などの電話番号をメモしておいて、それを常に持ち歩いておくことなどがある。
ほかにももう一つあり、非常持ち出し袋かつ最小限(400グラムほど)に防災ポーチ、防災ボトルなどに入れて、携帯しておくことで0次の備えになる。しかもこのように持ち歩いておけばもし外出先で突っぱつ的な災害があったときに大変重宝する。
いくらがんばっても地震そのものは食い止められない。だが地震に対する対策は多いほど確実に被害を減らせる。なのでこの二つはかなり有効だと思うので、実践してみたいと思う。
◇加古川市 小学4年 黒田菜帆
「こども震災学校で思ったこと」
私は、こども震災学校で、命はとても大切なものだから、自分の命は自分でまもっていこうと思いました。そのためには家具の固定やその固定の仕方などを工夫して、自分だけでなく、家族や家のとなりの人なども助けていけるようにと思いました。
じっけんをして、家具の固定の仕方を変えることで、家具の固定の意味がなくなってしまうことがあると分かりました。私の家にはねる部屋に大きなたながあるので、今日帰るとき、とめ具を買ってしっかり固定しようと思います。
ほかにも、いつどこで何が起こるのか分からないので、ふだんから「ここで地震が起きたらどうしよう」などとしっかり考えて行動しようと思っています。
これからも、地震で困っていたり、何か災害で困っていたりしている人がいたら、自分から助けてあげられたらいいな。ささいなことでもいいから、少しずつ努力していくことがとてもいいと感じました。
◇明石市 小学4年 本田瑞樹さん
自分が大地震にあったらすぐに外へ出たい。
◇神戸市北区 小学3年 片山日禾成(しいな)さん
「僕が思ったこと」
ぼくは、今日一つでもそなえるだけでぜんぜんちがうということを知りました。例えば2Lペットボトル3本そなえるだけで3日ぐらい生活できるとか、1個そなえるだけで一つ楽になったり、生きられたりできることを知りました。
◇西宮市 小学3年 横田えみりさん
「自分にできること」
お話を聞いて、これから自分にできることは、何か「災害」がおこったときに、毎日生活はどんどん変わっていくけど、水を毎日くみに行って、元の生活に、すぐ変わることはできないけれど、自分にできること(水をくみに行く、つっぱりぼうを今日学習した中で、分かったことをしたりする)。災害がおこったときの死者を少なくする。
そのためにできることは、つっぱりぼうを奥にし、段ボールを上に置き、こうかのあるようにし、タンスがたおれてなくなる人を少なくする。災害がおきることは、完ぺきに「ない」ということは、できないけれど、自分にできることは書いたようなことになる。
◇神戸市須磨区 小学3年 大西縁さん
「つっぱりぼうは大切」
実けんでタンスにだんボールやつっぱりぼうをはさんで、つっぱりぼうでたおれないようにできた。つっぱりぼうを持っていないから、ほしいです。台所でママがりょうりしている時に、じしんでうしろのものが落ちてきてママがけがしてあぶないから、つっぱりぼうがあったらそれをふせげると思います。
私がここに参加していなくて家で、つっぱりぼうをかっていて、さいしょ私は、つっぱりぼうを手前につけるのを正かいだと思っていました。
◇加古川市 小学2年 黒田蒼介さん
「こども震災学校で思ったこと」
ぼくのだいじなものはいのちです。じぶんのいのちもだいじだけど、人のいのちもだいじです。家のちかくでもおこったらじぶんだけにげるんじゃなくて、まわりの人もだいじです。そんなことがないように、へいわなままがいいです。こまった人や、けがをしていた人はじぶんでたすけてあげたらいいです。
◇淡路市 小学2年 上田夏穂さん
「大せつにしたい」
私は、こまっている人や、くるしんでいる人をたすけて、じしんでしぼうやけがをする人を少なくしていきたいなと思いました。
大せつなものをなくすのは、とてもかなしいから、同じ気持ちの人の大せつな物も、大せつにしてあげたいなと思いました。
水をくむのはとおいところだから、くむのはほんとうに大へんだなと思いました。
私は、じしんで家がこわれなかったら、人をお家によんだらいいんじゃないかなと思いました。
へやのおさらや、れいぞうこの食ざいがこぼれたりしたら、くつで歩かなきゃというぐらいだったのがびっくりしました。
じしんがとてもこわいことがとてもとてもわかりました。
大きなゆめをもっている人が小さいうちに死んでしまうのは、かわいそうだなと思いました。
じしんがおきて、クラスメートもうしなってしまうのは、すごくすごくかなしいなと思いました。
家でつぶれてしんでしまうのが多かったのは、少しこわいなと思いました。
火じで家がもえて死んでしまうのも、こわいなと思いました。
私は、学校やひなんじょも、つぶれてしまったら、どこにひなんしたらいいのかなと思いました。
かい犬やお父さんお母さんがなくなるのはいやだから、今日からつっぱりぼうやだんボールをやろうと思いました。
じしんはこわいことだとわかりました。