阪神・淡路大震災には、ずっと距離を感じてきた。
1996年に関東地方で生まれた私(28)は、小中学校で震災学習を受けたこともなければ、「地震」を強烈に意識したのは2011年3月の東日本大震災だった。
神戸新聞社に入社して6年。毎年、1月17日の早朝は、神戸・三宮の東遊園地などで取材してきた。涙ながらに大切な人との思い出を語ってくれる人もいた。
間違いがないように記事にする。自分にはそれしかできないと思ってきた。「1・17」を知らないことに、どこか後ろめたさがあった。
そんな思いは昨年11月、落語家の桂福丸(本名・中野正夫)さん(46)と出会って少し変わった。
福丸さんは高校1年の時、神戸市東灘区で阪神・淡路大震災に遭った。実家のマンションは半壊。近くの避難所で人の温かさと、同時に冷たさに触れ、漠然と「人を幸せにする仕事がしたい」と落語家を志した。
福丸さんは、こんな思いを教えてくれた。「震災って私たち当事者には大きな出来事であっても、生まれていなかった子どもたちに同じ大きさで届くとは限らないと思う」
約10年前から講演会で被災経験を語ってきた福丸さん。初めは自ら見聞きしたことを中心に話していたが、ある時、中学生から「ちょっと退屈だった」という意見をもらったという。
福丸さんはそれを苦い経験ととらえるのではなく、「おっしゃる通り」と納得したそうだ。
以来、自分の体験は「入り口」に、より想像力を働かせてもらう伝え方を意識しているという。
生活に欠かせないスマートフォンの充電が切れないよう、持ち運ぶことができるUSB付きソーラー発電機を高座で紹介することもある。
約30年前の被災地の空気を肌で感じたかどうか-。経験の有無によってギャップが生じたとしても、それを受け止め、その上で震災を知らない人にも届くよう心を砕く。
これから起こるかもしれない災害に備えるため、伝える工夫を考えることは、「震災後生まれ」の私にもできるはずだ。福丸さんと知り合い、勇気をもらえた気がしている。(千葉翔大)