阪神・淡路大震災の体験者から話を聞いて学ぶ小中学生向け「第1回こども震災学校」が4月6日、神戸新聞社(神戸市中央区)で開かれました。震災で母と弟を亡くした小学校教諭の長谷川元気(はせがわげんき)さん(37)が、子どもたちの前で話しました。集まった児童・生徒らは真剣なまなざしで話を聞き、感想を作文にまとめました。

 まず見学したのは、神戸新聞報道展示室「ニュースポート」。本社ビルが全壊しながらも京都新聞の援助で新聞を発行し続けた経緯などについて、当時記者だった石崎勝伸・文化部長が解説しました。

 また、家屋の倒壊や家具の転倒に見舞われたり、建物の下敷きで動けず火災にあったりして亡くなった人たちがいた事実を説明。石崎部長は「亡くなった本人も周囲の人たちも悔しかった。つらい思いを抱えながらもみなで助け合って、残された人たちは生きた」などと語りました。

震災で亡くなった母と弟の写真を見せながら、当時のことを語る長谷川元気さん=4月6日、神戸新聞社

 続いて、本社会議室に移動した参加者は、長谷川さんの話を聞きました。震災の経験を伝える団体「語り部KOBE1995」の代表を務める長谷川さん。亡くなった母規子(のりこ)さん=当時(34)=と末の弟翔人(しょうと)ちゃん=同(1)=の写真などを見せ、つらい体験を子どもたちの目を見ながら語りました。

 当時、長谷川さんは5人で神戸市東灘区に暮らしていましたが、地震で住んでいたアパートが倒壊。1階にいた一家が巻き込まれました。

 長谷川さんと父親、弟の3人は抜け出すことができましたが、規子さんと翔人ちゃんはたんすの下敷きになり、亡くなりました。

 長谷川さんはそのときの様子を、中学時代に書いた作文を読み上げながら説明しました。母と弟について、父親から「あかんかったわ」と涙ながらに告げられ、公園のベンチで崩れ落ちて泣き続けた長谷川さん。その後しばらく、母と弟が夢に出てきたそうです。「震災は夢やったんや」と思うと夢から覚め、現実に引き戻されました。

 小学生時代、つらい経験に寄りそってくれた先生の存在から、長谷川さんは小学校の教諭になりました。また、自分が2人の子を持つ親になったことで、「子どもを残して亡くなったお母さんは、無念だったろうな」と思うようになりました。

 これらの経験から、長谷川さんは子どもたちにお願いをしました。苦しいときでも夢を持つこと。ふだんから助け合い、支え合うこと。周囲の人を大切にし、家族に「ありがとう」と「ごめんね」をふだんから言うようにすること。最後に「家族を亡くさないように、今できる備えをしてほしい」と呼びかけました。

長谷川元気さんの話を真剣に聞く子どもたち=4月6日、神戸新聞社

 子どもたちは感想を言い合いました。「お母さんが亡くなったらどうしようと思った」「家族がいるのは当たり前じゃない。身の回りの人を大切にしたい」。子どもたちが真剣な表情で話すたびに、長谷川さんはやさしいまなざしでうなずきながら聞いていました。

 その後約30分かけて、子どもたちは感想文を書き上げました。最後に京都大防災研究所の矢守克也(やもりかつや)教授(防災心理学)があいさつ。「ほかの人に起こった災害を、これから自分が体験する災害として考え直すことが重要」とし、「皆さんの感想には『もし自分だったら』という言葉があふれていたことがよかった。防災を考える上で大切なことを学べたのでは」と話しました。