■我慢をしていたら、チック症に(当時小学4年、神戸市須磨区)
「怖い」という言葉を言ってはいけないと思い、我慢していたら、チック症の症状が現れ、3年ほど続きました。いつまた大きな地震が来るか分からないので、夜にパジャマで寝ることが2年間できなくなりました。救急車の音が怖く、10年以上たっても、救急車の音を聞くと震えていました。30年近くたった今でも、地震の揺れや地響きや地鳴りを体が覚えていて、地震が来ると、しばらく心臓がバクバクして眠れません。=原っぱさん(現在30代)
■懐中電灯が近くにないと不安に(当時小学1年、神戸市灘区)
いまだに眠るのが難しい日があります。20歳ごろまでは、近くに懐中電灯がなければ不安で仕方なく、カバンの中に三つ四つペンライトを持っている状態でした。持ち歩くかばんもとても大きく、1泊は平気なぐらいの物を入れて移動していました。=みどりさん(現在30代)
■「何で生きているのだろう」と泣いていた(当時高校3年、神戸市西区)
やたら悲しくなって「何で私なんかが生きているのだろう、死ぬのが私だったら良かったのに」と泣いていた。=すくれさん(現在40代)
■パジャマを着られなかった(当時高校2年、神戸市垂水区)
パジャマを着て眠れるようになるまで数カ月かかりました。=つばめさん(現在40代)
■ご飯や水が喉を通らなくなった(当時小学4年、神戸市灘区)
幼稚園からずっと一緒だった友だちを亡くし、ご飯や水が喉を通らなくなり、尿や便が出なくなった。便がおなかの中で固まったせいもあり、常におなかが痛くて起き上がれなかった。=もちさん(30代)
■揺れがいまだに怖い(当時小学5年、神戸市長田区)
振動にはすごく敏感です。揺れがいまだに怖い。特に、船の重低音の揺れは「今すぐ海に飛び込もうか」と思うぐらい苦手です。=カカポさん(現在40代)
■電気を消して眠れない(当時小学6年、伊丹市)
自分の住んでいる地域が震災により被害を受け、震災前と全く違う様相になってしまった。再び大きな揺れが来るのではないかとの恐怖で、電気を消して眠ることがしばらくできませんでした。=あっちんさん(現在40代)
■不安が強く(当時小学6年、神戸市垂水区)
軽度の余震も怖くて、不安が強かった。子どもにとっては、安心して眠れる場所の確保が必要だと思う=かおりんさん(現在40代)
■ヘリコプターの音が怖い(当時小学6年、神戸市北区)
生活に支障のあるほどの影響はないですが、今でも高架下のような暗くて上からガタガタ大きな音がする時、ヘリコプターが低空で飛ぶ音、赤い月を見ると震災を思い出して不安になります。=かめさん(現在40代)
■震災の記憶がフラッシュバック(当時小学6年、西宮市)
ほんの小さな地震でも大震災の記憶がフラッシュバックして、動悸(どうき)が激しくなったりしてしまう。精神的なダメージがかなり大きかったので、心のケアが一番大事だと思う=みささん(現在40代)