神戸・三宮の東遊園地で開かれる追悼行事「1・17のつどい」の取材が近づくと、入社3年目の私(24)は、毎年すごく緊張する。
午前5時46分に合わせ、東遊園地を訪れた人に声をかけ、震災体験を聞かせてもらうのが私の仕事。分かっていても、灯籠の明かりや、犠牲者らを悼む「慰霊と復興のモニュメント」の銘板を前に手を合わせ涙する人を見ると、声をかけるのをためらってしまう。
ぶしつけな質問で傷つけはしないだろうか、つらい記憶を思い出させてしまったら? それを記事にすることは「消費」になるのでは-。ぐるぐると考えているうちに、一歩が踏み出せなくなる。
同じ気持ちで迎えた2024年1月17日。忘れられない出来事があった。
午前5時半ごろ、犠牲者の名前が刻まれた銘板の前で1人、静かに手を合わせ、目を閉じる女性がいた。思い切って声をかける。
53歳の女性は震災で母を亡くしたという。そして29年前、神戸市東灘区の実家近くの避難所を回って母の姿を探したことや、看護師をしていた母は、同じ看護師として働く自分を一番理解してくれる先輩でもあったことを、淡々と、でも時折涙を浮かべながら語ってくれた。
30分ほど話した後、女性は「聞いてくれてありがとうございました。あらためて記憶と気持ちを整理できました」と言った。
驚いた。感謝されるなんて思ってもみなかった。急に視界がかすみ、喉の奥がつまる。泣きそうになる。私は「こちらこそありがとうございました」と返すので精いっぱいだった。
29年たったから話せることがある、聞いてほしいと思ってくれる人がいる。当たり前の生活が奪われ、それでも前を向いている人がいる。その声を伝えたいと強く思った。(橘高 声)