■お互いに理解しようと努力/寛容の精神、ともに平和を願う

 神戸は開港以降、幅広い外国人を受け入れ、150年以上にわたり手を携えて歩んできたまちだ。神戸・北野周辺には世界の宗教施設が数多くあり、多様な背景をもつ人々が共に暮らしている。戦火が絶えない現在の世界情勢にあって、北野天満神社(神戸市中央区)の宮司・佐藤典久さん(54)は「互いの違いを認め合いながら発展してきた神戸の存在を、今こそ世界に知ってもらいたい」と話す。この神社では毎年、異なる宗教の聖職者たちが集まり世界平和を祈る儀式が営まれる。混迷を深めるいま、神戸から世界に発信できることとは? 佐藤さんと語った。(安福直剛)

 -神戸・北野で生まれ育ったとのこと。やはり独特の雰囲気だったのでしょうか。

 「幼少の頃から周囲に外国人がたくさんいる環境だったので、それが普通で特に変わっていると感じたことはありません。私は1971年の生まれで、当時は国内に外国人観光客があまりおらず、海外旅行も一般的ではなかったと思います。子どもが外国人とすれ違うと、驚いて振り向くような時代だったかもしれません。けれど、北野は違いました。今も昔も、外国人はごく普通のご近所さんです。自分とは国籍が違う、宗教が違うといったことを考えた記憶は、ほぼありません」

 「神社(兼自宅)近くに住んでいたドイツ人のおばあさんにはかわいがってもらいましたよ。お菓子をくれたり、『お帰り』と声をかけてもらったり。当時、宮司だった父とも仲が良かったようです。おばあさんの宗教までは知りませんが、違う国同士の人々が普通に交流する。北野とはそういうまちですね」

 -この間、まちの雰囲気は変わりましたか。

 「子どもの頃、道路のほとんどは土でしたし、神社も雨漏りがしていました。神社の交流があるのは氏子地域の北野町だけで、町外から訪れる人はほぼいなかったと思います。ただ、洋館は今より多くて外国人がたくさんいました。白人系、華僑、インド系…。思えば、本当に多くの国籍の方がいる環境で育ちました」

 「やがて高齢化が進んで洋館を手放す人が増え、阪神・淡路大震災を機に神戸市内の別の場所に移る人もいて、洋館そのものは減りました。ただ、さまざまな文化的背景をもった人が暮らしているという点は、ずっと変わりません。日本古来の寺社だけでなく、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など、多くの宗教施設の存在がそれを示しています」

 -これほど多国籍、多宗教の人々が一緒に暮らすまちは珍しいのでは。

 「他の宗教の方々から話を聞くと、こんな密集した地域で共存しているのは世界でもほぼ例がないらしいです。日本(人)はキリスト教のクリスマスや仏教のお盆など、さまざまな宗教や文化を受け入れてきました。そんなわれわれにはピンときませんが、異なる宗教の信者同士が一緒に食事することすら他国では難しいと。北野の日常風景を海外の方に話すとびっくりされます」

 -そんな驚くような状況が当たり前のように成立しているのは、なぜでしょうか。

 「さまざまな国籍のさまざまな宗教の人たちが、日本という国や日本人を理解しようと努力して生活しているからかなと思います。神戸の北野というまちでは多様な宗教の人々が共に暮らしている、互いに理解しなければ-と。異なる宗教間で考え方が違うのは当然で、それを主張し始めると切りがありません。しかし、ここで暮らす人々は『考えの異なる人たちとも認め合いながら交流しよう』という気持ちを持っている。だから、争いも起きずに共存できるのでしょうね」

 「もう一つは、古くから日本に根付く寛容の精神が、多様な宗教者を受け入れる土壌をつくってきたのではないでしょうか。開港後の神戸では居留地だけではなく、古くから日本人が暮らしていた地域でも外国人が住み始めました。衝突が起きてもおかしくない状況です。でも、日本人と外国人は『雑居地』と呼ばれる場所で共に生活を営んできました。神道に通じる部分もありますが、日本人が多様な人々を受け入れ、認め合う心を持っていたからこそ共生できたのだと思います」

多宗教が共存する北野の人々について話す、北野天満神社宮司の佐藤典久さん=神戸市中央区北野町3、北野天満神社

 -日本人特有の寛容性が、多宗教の共存を可能にしたと?

 「日本人は古くから、山、海、岩など、あらゆるものに畏敬の念を抱き、信仰の対象にもしてきました。宗教一般で言えば多神教であり、神道においては八百万(やおよろず)の神々となります。この思想・概念を広く生活や社会に当てはめると、『和をもって貴しとなす』という言葉があるように、さまざまな立場の人がいて当然です。排他的ではなく、寛容な心で他人やその考えを認める。それが日本人の根幹にあるアイデンティティーではないでしょうか」

 「先ほど日本人は、クリスマスやお盆を受け入れてきたと話しました。そうした姿勢が『無宗教だ』『節操がない』と言われることもありますが、違います。寛容なのです。さまざまな考えを頭から否定することなく、受け入れようとするのです。観光で神社に来る若者を見ると、きちんと礼拝しておられます。日本人にも信仰心があると日々感じています」

 -神社で毎年営まれる「北野国際まつり」では、各宗教の聖職者たちが集まり、世界平和を祈念します。

 「1981年、北野在住のユダヤ系アメリカ人の提案で始まりました。その方は日本が大好きで、『神社でお祭りをしませんか。さまざまな宗教の外国人にも呼びかけます』と。外国人のコミュニティーにも顔がきく方だったようです。宮司だった私の父は新しいことや面白いことが好きだったので、意気投合しました。神社に外国人が集まってお祭りをすることは、当時としては珍しかったと思いますが、それほど反対もありませんでした。神戸・北野ならではかもしれません」

 「まつりの冒頭、世界平和を願う『ピースセレモニー』があります。多いときで10ほどの宗教の聖職者が集まり、それぞれの作法で祈ります。お経を唱え、ゴスペルを歌い、コーランを読み上げて…といった具合です。国境や言語などの垣根を越えた心の国際交流、世界宗教の相互理解といった要素は当初からの祭りのコンセプトです。父は『地球人同士』という言葉をよく使っていました」

 -一方で、世界では戦争が絶えません。

 「北野国際まつりは勢いで始めたような側面もありますが、現在の世界情勢を見ると、偶然ではなく必然として続けてきたと思える状況です。宗教というのはそもそも、平和を求めるもの。どんな宗教でも、です。北野の聖職者たちを見ていると分かります。互いの違いを理解すれば、これだけ近い距離でも共存できます。日本の風土という特殊性はあるかもしれませんが、神戸でできることが世界でできないわけがありません」

 「このまつりを続けること、他宗教の聖職者たちとともに暮らすことが、価値ある歴史になっていくと思っています。寛容の精神があれば、考えの異なる宗教が仲良く共存できることを、多くの人に知ってほしいと願っています。神戸・北野のまちが、まちが歩んできた歳月が、それを証明しています」

【さとう・のりひさ】1971年神戸市出身。皇学館大学で神職の資格を取得し、広島県の厳島神社で奉職。2000年から北野天満神社の宮司を務める。明治中期に佐藤家が同神社の宮司になり、現在5代目。