まっすぐな線路を黄色い列車が走る。青々とした田んぼを通るレールは、遠く瀬戸内海まで続いているように見える。JR赤穂線西相生-播州赤穂の直線区間。ここは太平洋戦争前、国主導で敷設が計画されていた「弾丸列車」の名残を感じられる県内でも珍しい場所だ。

 弾丸列車は新幹線の原型となる高速鉄道。1931年の満州事変勃発などに伴い大陸への輸送強化が検討され、大型車両により東京-下関間を9時間で結ぶ構想が掲げられた。だがその後、戦況の悪化によって計画が頓挫。買収された用地は戦後の新幹線計画に一部転用された。

千種川をまたいで走り抜けるJR赤穂線の列車=赤穂市浜市

瀬戸内海に向かってまっすぐ延びるJR赤穂線の線路。水田の間を黄色い列車が進む=赤穂市内(ドローンで撮影)

 JR赤穂線との関連性は諸説あるが、弾丸列車の研究を続ける神戸史学会の大島貴之さん(52)は、同区間は当初、旅客よりも弾丸列車の線路資材運搬の目的などで整備が急がれたと指摘。中間部に位置する坂越駅の駅舎とホームの間には今も空間が残っており、「弾丸列車は赤穂線の東側を並走する予定だったのでは」と推測する。