■「三重苦」を生き抜く糧に/戦後のうたごえ運動にも影響
ソ連の対日参戦から80年。終戦後、シベリア・モンゴル地域に抑留された人は推計約57万5千人、このうち約5万5千人が死亡したとされる。2015年に手記などの資料が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されたが、抑留生活の文化的側面は「ほとんど見過ごされてきた」と、森谷理紗・京都大人文科学研究所特定准教授は話す。各地の収容所(ラーゲリ)で結成された「楽劇団」などの研究からは、過酷な状況下で「生きる糧」となった芸術活動が浮き彫りになる。(田中真治)
-なぜ、抑留者の研究を始めたのですか。
「東京芸術大の修士課程で、ロシア民謡を歌う『合唱団白樺(しらかば)』の団員としてフィールドワークをしたのがきっかけです。日本で言う『ロシア民謡』には大衆歌謡などもたくさん含まれていて、抑留中に覚えた歌を帰還者が広めたという背景がある。『白樺』のカリスマ指揮者だった、声楽家の北川剛も抑留者でした」
「ロシアに12年いて帰国した後、東京の『シベリア抑留者支援・記録センター』で、手書きの楽譜などの寄贈品があることを知ったが、従来の政治経済的研究では扱われない。大事な1次資料が知られないまま、歴史や記憶が消滅してしまうことに危機感を抱き、抑留と文化創造活動を研究することにしました」
-シベリア抑留といえば、酷寒・飢え・重労働という「三重苦」のイメージです。