ドドドド。すさまじい地響きと、突き上げてくる激しい揺れ。すべてが崩れ、生き埋めになった家族に火の手が迫る-。小説「翔(と)ぶ少女」の冒頭シーンだ。
時は30年前、阪神・淡路大震災が発生した日。場所は神戸市長田区。なぜ、その場面から? 作者の原田マハさん(62)はその理由を語った。
「震災で受けたダメージを、終わりではなく始まりとして書きたかった。これは神戸の方々がやってのけた、再生の物語だから」
東京出身。父の仕事の都合で、中高時代を岡山で過ごした。神戸は「憧れのお姉さん」のような存在。関西学院大学文学部に進学すると、下宿先の西宮から神戸に何度も通った。「神戸の風景は、青春のポートレートとともに永遠に胸に刻まれている」
1995年1月17日、東京の商社に勤めていた原田さんは朝起きて、テレビを付ける。建物が倒壊し、あちこちで火の手が上がる神戸の街が映っていた。「フィクションなの?」。ぼうぜんとして、しばらく動けなかった。
作家デビューから5年後の2011年、東日本大震災が起こる。増えていくばかりの死者と行方不明者の数。こんなとき、小説に何ができるのか。葛藤しながらも東北の被災地に足を運び、翌年に「翔ぶ少女」の執筆を始めた。
「正面切っていく。中途半端に書くわけにはいかない」。そう決めて、12年1月17日は未明から祈りに包まれる長田の町を歩いた。あの日のことを想像し、明けていく空を見ながら思った。こんなに残酷な朝があるのか、と。
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「人間はあらゆる悲しみを乗り越え、前進し続ける生き物なんだと私の物語で証明したかった」。原田さんは言った。
(名倉あかり)
■神戸はずっと「憧れのお姉さん」 悲しい過去は語り、読み継いでいかねば
阪神・淡路大震災で両親を失った少女「丹華(にけ)」の成長を描いた小説「翔(と)ぶ少女」。作者の原田マハさん(62)が「大好きな神戸のことですから」と、小説に込めた決意やこの街への思慕を語ってくれました。
ー震災が発生した時は東京の会社に勤めていた。