1995年1月19日。NHKキャスターだった池上彰さん(73)は電車を乗り継ぎ、西宮に降り立った。そこから自転車を借り、神戸に向かう。手に持ったカメラで、阪神・淡路大震災発生2日後の被災地を撮影して回った。

 当時は「週刊こどもニュース」のお父さん役。「見てきたものを子どもたちに伝えたい」。その思いが、体を突き動かした。

 倒れた高速道路。ぺちゃんこにつぶれた木造住宅。ペダルをこぐほどに、目の前の光景はひどくなっていく。「行けども行けどもずっと被害が続いた。こんなに広域で、大きな災害は初めて見ました」

 幾つものビルがそれぞれ違った方向に傾く街を走るうち、平衡感覚がおかしくなってきたという。「三半規管が対応できなかったんでしょう。船酔いのようになりました」。神戸・三宮までたどり着くと、その日のうちにUターンする強行軍だった。

 翌週からのこどもニュースで撮影した写真を紹介した。地震のメカニズムにも触れ、子どもが理解できるように模型を使って地震に強い住宅を解説した。

 「みんな、関西では大きな地震がないと思い込んでいた。でも日本中、地震が起きないところなんてないんだよ、と」

インタビューに答える池上彰さん(いずれも撮影・小林良多)

 災害はいつも「意地悪」だと言う。待ち構えているところでは起きないで、予想外のところで起きる。まさしく「『天災は忘れたころにやってくる』なんですね」。どこで起きるか分からないからこそ、備えるための想像力が膨らむよう分かりやすく伝えたい。

 思いは東日本大震災と福島第1原発事故で、より強くなった。

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 命を守るために、できること。ニュース解説でおなじみの池上さんに聞いた。(横田良平)