あの夏。岸壁の修復工事が続く神戸・メリケンパークの特設ステージに、泉谷しげるさん(76)の姿があった。照りつける太陽。高まるボルテージ。無料招待された約1万1千人から大歓声がわき起こる。
「力強く前進する姿に胸迫る思い。今日は音楽という心の物資を贈ります」。当時47歳の泉谷さんが壇上から呼びかけた。
中森明菜さんや森高千里さん、大江千里さん…。泉谷さんの思いに賛同し、人気歌手13人が集まったコンサート「日本をすくえ」。阪神・淡路大震災の発生から7カ月近くがたった1995年8月12日、焼け跡が残る神戸で、歌の祭典は大きな盛り上がりを見せた。
「最初は行政に冷たくあしらわれた。けが人におせち持って行くようなもんだからなあ。けど、こっちも引く気はないんで。神戸の人がちゃんと頑張って、立ち上がっているぞっていうのを見せたかったんで」
地震10日後、ラジオ番組出演のため、神戸に入った泉谷さん。これまで見てきた被災地とは様相が違って見えたという。「都会のど真ん中がやられた。えらいことが起きた」。その場で夏のコンサートを決意。全国から資金を募り、実現にこぎ着けた。
あれから30年。東日本大震災、熊本地震、そして今年の能登半島地震。災害のたびに現地へ足を運び、歌と愛を届けている。
泉谷さんには一つのポリシーがある。「被災者」と呼ばない。「災害は『人生の一個』なんだ。俺だってやられる。だから被災者じゃなく、『おまえら』って呼ぶ」
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代表曲「春夏秋冬」に込めた思い、神戸との意外な縁、音楽の持つ力とは-。こわもての泉谷さんが熱く語った。(上田勇紀)