生活費が苦しいのに、夫はパチンコや競馬に興じ、借金は雪だるま式に膨れ上がった。さまざまな夫婦の実話を紹介するシリーズ「離婚」。今回は「ギャンブルがやめられない夫」(全2回中の第1回)。夫にお金の管理を全て任せたばかりに、気が付けば首が回らなくなり、離婚した女性の体験を紹介する。(斉藤正志)
■夫婦で美容室を経営、幸せな家庭を築いたが…
千恵子=仮名=が結婚したのは1989年。当時23歳だった。
夫の賢吾=同=は二つ年上で、二人とも神戸市で美容師として働いていた。
いつか自分たちの店を持ちたいと、二人で夢を語り合っていた。
結婚2年後のことだった。
同居していた賢吾の母が「自宅近くでいい土地が見つかった」と、相談もなしに購入を申し込んだ。
千恵子は義母の勝手な行為に憤りもあったが、手付金300万円を千恵子の父や親戚に借りて何とか支払った。
自宅兼店舗を建て、店は繁盛した。
予約の取りにくい人気店になり、売り上げが年間1千万円を超えたこともあった。
子どもも3人生まれ、幸せな家庭を築いたかに見えた。
数年後、それはほころび始める。
■朝から晩までパチンコ店に
自宅兼店舗のローンの支払いは、当初月15万円だったが、数年後から26万円に上がる契約だった。
ローンの支払いがきつくなったのと同時期に、店の客足が減り始めた。
夫は真面目に働いていたが、ギャンブルがやめられなかった。
店が休みの月曜は、パチンコ店に開店前から並び、閉店まで帰ってこなかった。
日曜の競馬開催日は、メインレースの時間は客を取らなくなった。
借金は積み重なっていた。
しかし千恵子はお金の管理を全て賢吾に任せていたため、何も気付かなかった。
■子どものお年玉預金にも手を付け
おかしいなと感じることはあった。
一緒に出かけた時、賢吾が手持ちの現金がないからと、消費者金融の無人契約機に駆け込んだことがあった。10万円を借りていた。
大きな額ではなかったので、千恵子はあまり気に留めなかった。
千恵子は店の売り上げから、毎月5万円を渡されていたが、いつしかそれはなくなった。
買い物に行く時に、必要な額だけを渡されるようになった。
借金は数百万円まで膨れ上がっていた。
毎年ためていた子どものお年玉預金に手を付けなければ、ローンが支払えなくなるなど、生活費をやりくりできなくなり、千恵子は借金の存在を知った。
千恵子は返済のために、千恵子の父からお金を借りることを提案する。
そして賢吾は、驚きの態度を取る。(敬称略)
=続く=
<ギャンブルがやめられない夫>② 借金数百万円 助けようとした父に夫は逆ギレした
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シリーズ「離婚」は、神戸新聞の双方向型報道「スクープラボ」の一環で、LINE(ライン)を通じたアンケートの回答者に取材しました。