当時の記者たちが撮影した地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を、2024年1月17日から毎日掲載していきます。

■1996年1月17日 震災366日目

午前5時46分、犠牲者を思い、悲しみを新たにする朝を迎えました。ポートアイランド第2仮設住宅の集会所には住民約100人が集まり、黙とうをささげました。=神戸市中央区港島1

■1996年1月16日 震災365日目

障害者団体主催の「いやしの夕べ」に被災者やボランティアらが集いました。炊き出しの豚汁などを手に、この1年間の苦労や喜びを語り合いました。=神戸市兵庫区、須佐野公園

■1996年1月15日 震災364日目

日本一短い手紙のコンクール「一筆啓上賞」に寄せられた、震災に関連する作品です。全壊した神戸新聞会館の跡地に展示され、道行く人の目を引いていました。=神戸市中央区雲井通7

■1996年1月14日 震災363日目

全国から駆けつけてくれたボランティアに感謝を示そうと、住民らが集会所にメッセージを掲げました。救援物資の段ボールや紙皿などに思いがつづられていました。=神戸市長田区日吉町

■1996年1月13日 震災362日目

応急危険度判定士の認証式があり、1級建築士ら1252人に認定証が交付されました。判定士は余震による建物の倒壊など2次災害を防ぐための建物診断を担います。=神戸市中央区、兵庫県公館

■1996年1月12日 震災361日目

震災から間もなく1年。被害が激しかった地域を訪ねると、犠牲者を弔う花やお供え物、手紙などが住宅跡に置かれているのを数多く目にしました。=神戸市東灘区

■1996年1月11日 震災360日目

神戸市内では、被災した約400人が公園のテントなど屋外で生活を続けていました。仮設住宅に入居できたものの、住みづらさを感じて戻ってくる人もいました。=神戸市須磨区中島町1、下中島公園

■1996年1月10日 震災359日目

米、中、トルコなど大地震を経験した国の関係者が集う都市地震災害国際シンポジウムが神戸で開かれました。参加者は被災地を視察し、復興の方策を議論しました。=神戸市長田区

■1996年1月9日 震災358日目

震災で全壊した長田中央小売市場が、近くの仮設店舗で営業していました。常連客のために昔ながらの対面販売方式を続け、1999年4月に復興オープンしました。=神戸市長田区

■1996年1月8日 震災357日目

3学期が始まる日、神戸市立会下山小学校の児童たちが旧校舎に別れを告げ、新しい校舎へ移りました。震災の影響を受け、新校舎は完成が約5カ月遅れました。=神戸市兵庫区

■1996年1月7日 震災356日目

Jリーグ・ヴェルディ川崎のラモス瑠偉さんらプロスポーツ選手96人がポートアイランドに集結。被災地の園児や小中学生ら約3300人と交流しました。=神戸市中央区

■1996年1月6日 震災355日目

震災で高架道路が横倒しになった阪神高速神戸線の深江地区で、新しい橋桁の架設工事が始まりました。円柱型だった橋脚は、倍の太さの頑丈なものに変わりました。=神戸市東灘区

■1996年1月5日 震災354日目

西武ライオンズの清原和博選手が笹山幸俊神戸市長に義援金324万円を託しました。本塁打1本10万円、ヒット1本1万円と、成績に応じて積み立てた金額でした。=神戸市役所

■1996年1月4日 震災353日目

木造のツーバイフォー工法に鉄板を組み合わせた、一風変わった住宅が建てられていました。耐震性を高めるため、四隅に幅50センチ、厚さ6センチの鋼材が使われました。=神戸市長田区日吉町

■1996年1月3日 震災352日目

ポートアイランドの仮設住宅で、住民たちがぜんざいを食べがら新年のお祝いをしました。それぞれが将来への不安を抱えながら、笑顔で励まし合っていました。=神戸市中央区

■1996年1月2日 震災351日目

神戸港に貨物を取り戻そうと、二十数年ぶりに正月返上で荷役が行われました。巨大コンテナ船「OOCL・アメリカ号」など外航貨物船が次々と入港しました。=神戸市中央区、ポートアイランド

■1996年1月1日 震災350日目

穏やかな元日を迎え、更地が広がる町でたこ揚げを楽しむ子どもの姿が見られました。被災した神戸市内の神社でも、例年と変わらず多くの初詣客が訪れていました。=神戸市長田区若松町