当時の記者たちが撮影した地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を、2024年1月17日から毎日掲載していきます。
■1995年11月30日 震災318日目
倒壊した拝殿の上棟祭が神戸の生田神社で行われました。木遣(きやり)の声の響く中、宮大工らがヒノキの棟木を担いで足場を上がり、つちで打ってはめ込みました。=神戸市中央区下山手通1
■1995年11月29日 震災317日目
神戸・東灘の御影連合青年会と地元出身の芸術家が制作した、高さ10メートルの大縄です。材料は古着1万枚。96年1月17日に鎮魂の送り火として燃やされました。=神戸市東灘区御影郡家、弓弦羽神社
■1995年11月28日 震災316日目
練習帆船「日本丸」が神戸港に入港し、消防艇の放水や音楽隊の演奏で歓迎を受けました。夜間はライトアップされ、復興へと歩むミナト神戸に彩りを添えました。=神戸市中央区
■1995年11月27日 震災315日目
プロ野球阪神タイガースで活躍したランディ・バースさんら外国人の元選手17人が被災地の小学校を訪問。児童と給食を食べたり野球ゲームを楽しんだりしました。=神戸市東灘区、本山南小学校
■1995年11月26日 震災314日目
震災で兵庫県外に避難した人たちを励まそうと、神戸のボランティア団体が大阪の仮設住宅を訪ねました。焼きそばの露店やバザーを開き、にぎやかに交流しました。=大阪市淀川区十八条
■1995年11月25日 震災313日目
近畿2府4県に福井、徳島など4県が加わった合同防災訓練が滋賀県でありました。広域応援に課題を残した震災を教訓しようというもので5万人超が参加しました。=滋賀県彦根市
■1995年11月24日 震災312日目
老朽化と震災の被害により改修される神戸税関本庁舎で、兵庫県警音楽隊のコンサートが開かれました。昭和初期のモダンな洋風建物に美しい音色が響き渡りました。=神戸市中央区新港町
■1995年11月23日 震災311日目
12月2日の新築オープンを控えた神戸阪急ビル東館です。震災で損壊し、解体された旧ビルの跡地に建設。映画館のほかスーパーや雑貨店がテナントに入りました。=神戸市中央区加納町4
■1995年11月22日 震災310日目
芦屋市のがれき処理が急ピッチで進められていました。がれきは推定100万トンで同市のごみ処理量の30年分。焼却したり、船やトラックで市外へ運んだりしました。=芦屋市、南芦屋浜
■1995年11月21日 震災309日目
神戸など12保育園の園児らによる絵画展に「こわかったねあのじしん」と題した共同作品がありました。倒壊家屋や飛び回るヘリコプターなどが描かれていました。=神戸市中央区下山手通4、県民アートギャラリー
■1995年11月20日 震災308日目
ゆっくりと運ばれていく重さ約8トンの橋桁。震災で甚大な被害を受けた阪神高速神戸線の京橋-摩耶間で最後の橋桁設置作業が終了し、同区間がつながりました。=神戸市中央区脇浜海岸通
■1995年11月19日 震災307日目
138世帯が入居する仮設西神中央住宅西部で、交流の場となるふれあいセンターの落成式がありました。中高生がマンドリンを演奏し、住民らの心を和ませました。=神戸市西区
■1995年11月18日 震災306日目
「うろこの家」など多くの建物が震災で傷ついた神戸・異人館街。季節は移ろい、周囲の山では緑の常緑樹と紅葉する木々が美しいコントラストを描いていました。=神戸市中央区
■1995年11月17日 震災305日目
アジア太平洋経済協力会議(APEC)で来日中の各国要人が相次いで兵庫を訪問。カナダのレイモンド・チャン大臣は建設中の輸入住宅センターを視察しました。=神戸市東灘区の六甲アイランド
■1995年11月16日 震災304日目
ひととき、夏のリゾート気分に-。若手デザイナーの発掘を目指す神戸ファッションコンテスト95が開かれ、神戸芸術工科大の学生がグランプリに輝きました。=神戸市東灘区向洋町中6、神戸ファッションマート
■1995年11月15日 震災303日目
神戸市は被災した中小企業を対象に6カ所の仮設賃貸工場を設けました。金属加工業59社が入る西区の工場では製造・技術両面で各社が助け合うこともありました。=神戸市西区櫨谷町寺谷
■1995年11月14日 震災302日目
約400世帯が入居する神戸の仮設住宅で防災訓練がありました。暖房を使う機会が増えてくる時期。住民らは真剣な表情で消火器の使い方などを学んでいました。=神戸市北区、仮設しあわせの村住宅
■1995年11月13日 震災301日目
六甲アイランドに仮設桟橋埠(ふ)頭が完成し、記念式典が行われました。政府の「阪神・淡路復興委員会」の下河辺淳委員長、後藤田正晴特別顧問らも出席しました。=神戸市東灘区
■1995年11月12日 震災300日目
神戸市西部から宝塚市まで56キロを歩く「六甲全山縦走大会」が開かれました。震災で傷んだコース各所の応急復旧を神戸市が進め、開催にこぎ着けました。=神戸市内
■1995年11月11日 震災299日目
震災で傷ついた兵庫県指定天然記念物のクスノキ「神前の大クス」の公開治療がありました。腐った部分に殺菌剤を塗る作業などを市民ら約80人が見学しました。=神戸市灘区神前町、春日神社
■1995年11月10日 震災298日目
就職氷河期と震災の影響が重なり、求人の一層の減少も予想される中、兵庫県などが学生就職面接会を開きました。約千人もの学生が開場前から列をつくりました。=神戸市中央区港島中町6、ワールド記念ホール
■1995年11月9日 震災297日目
震災で被害を受けた兵庫県庁の本格的な復旧工事が始まります。周辺に建てた仮設庁舎へ一部の部局を移し、空になったフロアから修理や耐震性強化を行いました。=神戸市中央区下山手通
■1995年11月8日 震災296日目
復旧工事が進む阪神電鉄石屋川車庫。耐震性強化のために頑丈な鉄骨が組まれていました。96年3月に工事が完了し、同電鉄はすべての震災復興事業を終えました。=神戸市東灘区御影塚町
■1995年11月7日 震災295日目
震災前から共同ビル建設を進めてきた神戸・須磨の「板宿きたいちば」がオープンしました。震災の影響で工事がずれ込み、約5カ月遅れのスタートとなりました。=神戸市須磨区飛松町2
■1995年11月6日 震災294日目
神戸の待機所と旧避難所計70カ所で約1300人が生活を続けていました。それぞれに仕事や病気、金銭的な事情など悩みを抱え、転居は容易ではありませんでした。=神戸市東灘区魚崎南町6、市立東灘体育館
■1995年11月5日 震災293日目
神戸に本拠地を移して5年目、リーグ初優勝を果たしたオリックス・ブルーウェーブの選手らが市内でパレードをしました。沿道には約15万人が詰め掛けました。=神戸市中央区
■1995年11月4日 震災292日目
復旧工事中の神戸市役所2号館前で、美術を学ぶ短大生らがカラフルな壁画を制作しました。希望を象徴する虹と、神戸の山や海、淡路島の風景などが描かれました。=神戸市中央区加納町6
■1995年11月3日 震災291日目
ファッションや食品など神戸の産業復興をアピールする「ハイカラ博」が開かれました。洋菓子12社が独自開発した製品を統一ブランドで売る試みも注目されました。=神戸市中央区港島中町6、神戸国際展示場
■1995年11月2日 震災290日目
香港船籍の巨大コンテナ船の進水式が三菱重工神戸造船所で行われました。震災の影響を受け、神戸で建造予定だった同型の姉妹船は長崎で造られました。=神戸市兵庫区和田崎町
■1995年11月1日 震災289日目
震災で激減した観光客を呼び戻そうと、神戸の異人館街に一足早くクリスマスツリーが登場。訪れた人たちはサンタやトナカイの衣装で写真撮影を楽しんでいました。=神戸市中央区北野町2