当時の記者たちが撮影した地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を、2024年1月17日から毎日掲載していきます。

■1995年10月31日 震災288日目

震災の被害を受けた六甲アイランドで岸壁補修の夜間工事が続いていました。神戸港では、2年間の特別措置で24時間荷役や日曜荷役も行われていました。=神戸市東灘区

■1995年10月30日 震災287日目

被災地復興を祈願して湊川神社で開かれた「能と狂言の会」です。京都の大学関係者らが企画し、招待された計1500人が伝統芸能の世界を満喫しました。=神戸市中央区多聞通3

■1995年10月29日 震災286日目

尼崎の若者らで結成した琉球太鼓グループ「琉鼓会」が、仮設住宅などで慰問公演を続けていました。太鼓の音に誘われ、踊りの輪が広がることもしばしばでした。=神戸市須磨区横尾、椿谷仮設住宅

■1995年10月28日 震災285日目

神戸高専の文化祭で展示された被災地・神戸の立体模型です。スイッチを押すと、地震波を示す豆電球の明かりが実際の地震と同じ速度で点灯していきました。=神戸市西区学園東町8

■1995年10月27日 震災284日目

神戸で「国際ジャーナリストシンポジウム」が開かれました。阪神・淡路大震災を取材した国内外の記者が被災地からの情報発信などについて議論を繰り広げました。=神戸市中央区波止場町、ホテルオークラ神戸

■1995年10月26日 震災283日目

神戸の西代中学校理科部の生徒たちが見事な菊を咲かせました。学校が避難所となり栽培中止も考えましたが「被災した人を和ませたい」と心を込めて育てました。=神戸市長田区上池田

■1995年10月25日 震災282日目

映画「男はつらいよ」の48作目「寅次郎紅の花」のロケが長田区の菅原商店街周辺でありました。寅さん役の渥美清さんが現れると住民から熱い声援が飛びました。=神戸市長田区菅原通

■1995年10月24日 震災281日目

ハワイ先住民の子どもたちから震災に遭った子らを励ます絵やメッセージが届きました。阪神間のボランティア団体が先住民支援を続けてきたことがきっかけでした。=神戸市中央区東川崎町1

■1995年10月23日 震災280日目

関西電力のグラウンドに並べ置かれているのは、電柱の上のトランス(変圧器)。震災復旧工事で交換されたものや、再利用に向けて点検待ちのものもありました。=神戸市中央区のポートアイランド

■1995年10月22日 震災279日目

プロ野球日本シリーズ第2戦をテレビ観戦する人々です。オリックスはこの夜、ヤクルトに連敗。26日の第5戦で4敗目を喫し、悲願の日本一はなりませんでした。=神戸市中央区東川崎町1

■1995年10月21日 震災278日目

プロ野球日本シリーズがいよいよ開幕。オリックス・ブルーウェーブの本拠地グリーンスタジアム神戸では、朝から約1500人がゲート前に列をつくりました。=神戸市須磨区緑台

■1995年10月20日 震災277日目

震災で橋脚が崩れたり橋桁が落下したりした阪神高速神戸線。全線開通を目指して、橋脚の補強など復旧工事が急ピッチで進められていました。=神戸市中央区浜辺通

■1995年10月19日 震災276日目

「めざせ日本一」。プロ野球日本シリーズ開幕を前に、神戸市役所前の花時計の絵柄がオリックス・ブルーウェーブのマスコット「ネッピー」に植え替えられました。=神戸市中央区

■1995年10月18日 震災275日目

ミナト神戸のモニュメント「神戸港新港第五突堤信号所」の移設作業が始まりました。震災で傷んだ岸壁を修復する間、ポートアイランド2期を仮置き場としました。=神戸市中央区東川崎町1

■1995年10月17日 震災274日目

復興の願いを込めた西陣織のタペストリーが、京都・西陣織工業組合から神戸市に贈られました。版画家・川西英氏の「港」を原画に、熟練職人3人で制作しました。=神戸市中央区、神戸市役所

■1995年10月16日 震災273日目

全国からの応援の警察官を加えた兵庫県警「フェニックス・パトロール隊」が神戸・西区の仮設住宅全戸を訪問。防犯ブザーなどを配り、住民の安否確認をしました。=神戸市西区平野町、西神第7仮設住宅

■1995年10月15日 震災272日目

関西一円に住む沖縄や奄美出身の歌い手らが、被災した人たちを元気づけたいと伝統舞踊や民謡を披露しました。三線と太鼓の豊かな音色が会場に響き渡りました。=神戸市長田区、南駒栄公園

■1995年10月14日 震災271日目

「青森ねぶた」がやって来ました。神戸からの参加者も含め総勢約200人がねぶたとともに練り歩き、「ケッパレ(がんばれ)神戸」と市民を元気づけました。=神戸市中央区東川崎町1

■1995年10月13日 震災270日目

女性のロングブーツが流行し、神戸のケミカルシューズ工場は生産に追われていました。しかし資金難や設備不足のため増産に対応できないメーカーもありました。=神戸市長田区

■1995年10月12日 震災269日目

オリックスとヤクルトが対戦するプロ野球日本シリーズの前売り券が発売されました。グリーンスタジアム神戸(当時)では、徹夜組を含む約1800人が列を作りました。=神戸市須磨区緑台

■1995年10月11日 震災268日目

1991年に雲仙・普賢岳の噴火災害を経験した長崎県から観光業者らが神戸にやって来ました。「ともに復興へ向けて立ち上がろう」と勇壮な龍踊りが披露されました。=神戸市長田区、菅原市場

■1995年10月10日 震災267日目

恒例の「洋舞フェスティバル」が神戸で開かれました。震災復興の励みとして、命の尊さ、生きていることへの感謝の思いを題材にした作品も披露されました。=神戸市中央区、神戸文化ホール

■1995年10月9日 震災266日目

全壊判定を受け、ジャッキアップされたままのマンション。高額の費用や住民合意の難しさから、被災した分譲マンションの再出発には多くの時間を要しました。=神戸市東灘区

■1995年10月8日 震災265日目

震災で被害を受けた神戸港の機能を補うため、六甲アイランド南で建設が進められていた仮設桟橋埠頭。コンテナ荷役に必要なガントリークレーンが設置されました。=神戸市東灘区

■1995年10月7日 震災264日目

被災した子どもたちを元気づけたいとJリーグ・元鹿島アントラーズのジーコさんがサッカースクールを企画。小学生300人がスーパースターの指導を受けました。=神戸市兵庫区御崎町1、市立中央球技場(当時)

■1995年10月6日 震災263日目

自宅を再建しても、区画整理対象地域では移転が必要な場合も考えられました。移転補償に不安を抱く被災者は多く、木造など本格的な建物はまだわずかでした。=神戸市長田区

■1995年10月5日 震災262日目

映画「男はつらいよ」48作目のロケが神戸・長田で行われることになりました。地元住民は「何よりの励まし」と、横断幕を作って歓迎ムードを盛り上げました。=神戸市長田区北町3、長田区役所

■1995年10月4日 震災261日目

周囲が未舗装の仮設住宅では、雨が降ると大きな水たまりができ、住民を悩ませました。水はけが悪い所は、完全に水が引くまで1週間かかることもありました。=神戸市中央区のポートアイランド2期

■1995年10月3日 震災260日目

作詞家阿久悠さんらの呼びかけで集まった復興応援イラストです。新しいまちに生まれ変わろうとする神戸への思いを、コウノトリのイメージに託して描かれました。=神戸市灘区王子町3

■1995年10月2日 震災259日目

オリックス・ブルーウェーブの最終戦は、ファンへの感謝を込めて内外野自由席が無料開放されました。イチロー選手の本塁打も飛び出し、大声援に包まれました。=神戸市須磨区緑台、グリーンスタジアム神戸(当時)

■1995年10月1日 震災258日目

在日外国人が多く住む神戸・長田。互いの文化に理解を深め、復興の原動力にしようと「長田発-アジア秋祭り」が開かれ、伝統音楽や踊りなどが披露されました。=神戸市長田区菅原通、菅原市場