当時の記者たちが撮影した地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を、2024年1月17日から毎日掲載していきます。

■1995年9月30日 震災257日目

大相撲高砂部屋の小錦関や水戸泉関ら力士11人が神戸の高齢者施設を訪問。ちゃんこ鍋を振る舞うなどして、被災したお年寄りや近隣の人たちを励ましました。=神戸市長田区北町

■1995年9月29日 震災256日目

神戸港新港第2突堤西岸壁で進められてきた復旧工事がほぼ終わり、外壁部分の御影石がかつての姿でよみがえりました。外国貿易埠頭の本格復旧第1号でした。=神戸市中央区(当時)

■1995年9月28日 震災255日目

避難者に尽くした生徒と先生のために-。神戸市立須磨高校でボランティア活動をした山口県光市の市民らが同校を再訪し、慰労コンサートをプレゼントしました。=神戸市須磨区若木町、市立須磨高(当時)

■1995年9月27日 震災254日目

1995年9月27日 震災254日目 震災で店舗兼住宅が全焼したお米屋さんの仮設店舗です。断熱材の入ったアルミ製の板をボルトで締めて組み立てたユニークな構造。国道沿いで目を引いていました。=神戸市灘区琵琶町

■1995年9月26日 震災253日目

学校が避難所となり、鈴蘭台西高校で間借り授業を続けていた兵庫高校の生徒たちの「復帰式」が開かれました。校内ではまだ約50人の被災者が生活していました。=神戸市長田区寺池町1、兵庫高校

■1995年9月25日 震災252日目

資金不足や敷地の制約など自宅再建の苦労は尽きませんでした。愛着のある地域で暮らしたいという被災者の願いに応えようと、比較的安価な住宅も開発されました。=神戸市東灘区

■1995年9月24日 震災251日目

非政府組織(NGO)国際ハビタット連合が待機所やテント村を訪れ、被災者の住環境を調査。行政施策に住民の意思が反映されていないことなどを指摘しました。=神戸市須磨区

■1995年9月23日 震災250日目

土地区画整理事業が進められていた御菅(みすが)西地区。プレハブの建物で営業を再開する店もありましたが、まだ周囲には火災で焼かれた家財などが残されていました。=神戸市長田区御蔵通

■1995年9月22日 震災249日目

被災地では住宅の建築や補修の注文が殺到し、工期が長くなりがちでした。半日で組み立てられる車輪付きの英国製住宅「モービルホーム」を設置する人もいました。=神戸市兵庫区

■1995年9月21日 震災248日目

震災で橋脚が倒れたり、橋桁が落下したりした阪神高速神戸線。神戸の中心部に近い摩耶-京橋間の復旧作業は急ピッチで進められ、翌96年2月に開通しました。=神戸市中央区浜辺通

■1995年9月20日 震災247日目

オリックス・ブルーウェーブの優勝決定から一夜明け、商店街などで記念セールが始まりました。祝い酒も振る舞われ、買い物客らは勝利の余韻に浸っていました。=神戸市須磨区、板宿市場

■1995年9月19日 震災246日目

オリックス・ブルーウェーブが西武球場での西武ライオンズ戦に勝ち、リーグ初優勝を果たしました。地元神戸では大勢のファンが歓喜のバンザイを繰り返しました。=神戸市中央区東川崎町1

■1995年9月18日 震災245日目

時速約100キロで千トンの貨物を運ぶ超高速貨物船テクノスーパーライナーの実験船「飛翔」。デモンストレーションを兼ねた実験航行を行い、市民らを魅了しました。=大阪湾

■1995年9月17日 震災244日目

NHK連続テレビ小説「走らんか!」の神戸ロケが行われました。九州・博多が舞台のドラマでしたが、阪神・淡路大震災にまつわる話もありました。=神戸市中央区、JR三ノ宮駅前

■1995年9月16日 震災243日目

オリックス・ブルーウェーブは優勝マジック1で足踏みを続けていました。神戸の百貨店や商店街では記念セールの準備を整え、歓喜の瞬間を待ち構えていました。=神戸市中央区、そごう神戸店(当時)

■1995年9月15日 震災242日目

神戸で住宅再建支援などに取り組む団体が、ボランティア向けの宿泊所を建てました。6畳2部屋にベッド3台。長期滞在する人たちの活動に役立てられました。=神戸市長田区御蔵通4

■1995年9月14日 震災241日目

苅藻中学校との統合が決まった大橋中学校です。震災で校舎が被害を受け、プレハブの教室が建てられていました。現在、跡地は神楽公園になっています。=神戸市長田区細田町1

■1995年9月13日 震災240日目

オリックス・ブルーウェーブが初優勝目前。超満員の本拠地では勢い余って木に登る人もいました。近鉄を下したものの2位ロッテも勝って優勝マジックは「1」に。=神戸市須磨区緑台、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)

■1995年9月12日 震災239日目

郊外の住宅地に大規模な仮設住宅が造られました。市街地で広い用地を確保できなかったためです。仮設住宅に当選しても仕事の事情などで入居しない人もいました。=神戸市西区櫨谷町

■1995年9月11日 震災238日目

埋め立て工事が進むポートアイランド2期に約2千戸の仮設住宅群が建設されていました。敷地が広大で、交通アクセスや生活環境面には課題を抱えていました。=神戸市中央区港島南町

■1995年9月10日 震災237日目

三宮センター街の「さんプラザ」が8カ月ぶりに再開しました。県内最大のショッピングゾーンである三宮は、倒壊したビルを除いて商業施設がほぼ復旧しました。=神戸市中央区三宮町1

■1995年9月9日 震災236日目

焼け跡に建ったプレハブの住宅や店舗が、中秋の名月に優しく照らされていました。草むらとなった更地では、虫の声が響いていました。=神戸市須磨区大池町

■1995年9月8日 震災235日目

バハマ船籍の客船マルコ・ポーロ号が神戸に到着しました。震災の影響で入港キャンセルが相次ぐ中、久々に「海の玄関」が外国人観光客でにぎわいました。=神戸市中央区の神戸ポートターミナル

■1995年9月7日 震災234日目

震災を教訓に、初動態勢を重視した神戸市の防災訓練がありました。ポートアイランドの仮設住宅では、住民らが台風に備えたロープの張り方を学びました。=神戸市中央区

■1995年9月6日 震災233日目

住宅関連の国際見本市が神戸で開かれました。耐震性を前面に出した瓦や扉、初期微動を検知する地震警報器など、防災に関する展示が目立ちました。=神戸市中央区港島中町6、神戸国際展示場

■1995年9月5日 震災232日目

三宮の玄関口に立つ神戸交通センタービル。損壊した4~9階部分は撤去され、3階までが使われていました。現在のビルが全面オープンするのは1997年7月です。=神戸市中央区三宮町1

■1995年9月4日 震災231日目

聖堂などが焼失したカトリック鷹取教会(現カトリックたかとり教会)で、再生紙の筒を使った仮設集会所が建てられていました。設計は建築家の坂茂さんです。=神戸市長田区海運町3

■1995年9月3日 震災230日目

中央区浜辺通とJR神戸駅前を結ぶ国道2号浜手バイパスの橋桁が撤去されていました。震災でメリケンパーク付近の橋桁がずれ、橋脚や出入り口にも被害が出ました。=神戸市中央区波止場町

■1995年9月2日 震災229日目

神戸ポートターミナル以東の新港第5~8突堤も被害を受けました。神戸市は市街地のがれきを活用してくし形突堤の間を埋め立て、現在の東埠頭(ふとう)を誕生させました。=神戸市中央区小野浜町

■1995年9月1日 震災228日目

震災後初めての「防災の日」。ケミカルシューズ工場などを失った事業者が入居する仮設工場団地では、従業員らが真剣な表情で消防訓練に臨んでいました。=神戸市長田区南駒栄町