当時の記者たちが撮影した地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を、2024年1月17日から毎日掲載していきます。

■1995年7月31日 震災196日目

ポートライナーが約6カ月半ぶりに全線開通しました。市街地と人工島の直結で、利用者が代替バスでの移動を強いられることもなくなりました。=神戸市中央区雲井通

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■1995年7月30日 震災195日目

仮設住宅入居者や地域住民らの交流の場となる「ふれあいセンター」の神戸市第1号がオープンしました。野菜の青空市は行列ができるほどの盛況ぶりでした。=神戸市北区、仮設藤原台第1住宅

■1995年7月29日 震災194日目

再建中の生田神社の拝殿です。地震に強い神社に生まれ変わろうと、26本の柱すべてに、当時の技術で最強度の鋼管コンクリートが使われました。=神戸市中央区下山手通1

■1995年7月28日 震災193日目

住宅が解体された跡地で、夏休みの子どもたちがラジオ体操をしていました。例年使っていた地域の公園には仮設住宅が建つため、会場を移して続けていました。=神戸市東灘区魚崎北町5

■1995年7月27日 震災192日目

テント村となっていた公園を訪れ、激励の太鼓を響かせた大阪の子どもたち。近隣からも大勢の人が集まり、暑さを忘れて演奏に聴き入っていました。=神戸市灘区大和町5、大和公園

■1995年7月26日 震災191日目

被災した建物の撤去が進み、更地が目立つ時期でした。種をまく活動をするグループもあり、町を歩くと小さな花畑を見かけることがありました。=神戸市灘区深田町

■1995年7月25日 震災190日目 

増大する警察業務に対応するため、兵庫県警は全国の警察から特別出向者500人を受け入れてフェニックス隊を結成。メリケンパークで発隊式が行われました。=神戸市中央区波止場町

■1995年7月24日 震災189日目 

アーケードが取り払われた大正筋商店街です。震災前のにぎわいとは比べようもありませんが、仮設店舗で営業を再開する店も増えてきました。=神戸市長田区久保町6

■1995年7月23日 震災188日目 

投開票を迎えた参院選。兵庫選挙区の県内投票率は38・29%で当時史上最低となりました。住民票のある被災地を離れていた有権者が多かったのも一因でした。=神戸市中央区、神戸市立中央体育館

■1995年7月22日 震災187日目 

全国各地の祭りが大集合するイベントが、元町商店街などで開かれました。兵庫県内の団体のほか、函館いか踊りや博多どんたく隊などが会場を盛り上げました。=神戸市中央区

■1995年7月21日 震災186日目 

「星座のビル」として知られた三宮のビルで、半年ぶりにイルミネーションが復活しました。壁面の光ファイバーが、星座や神戸の夜景を鮮やかに描き出しました。=神戸市中央区

■1995年7月20日 震災185日目

画一的な造りの仮設住宅は、お年寄りや障害のある人には住みづらい面も。ボランティアの協力で、出入り口にスロープが設けられた所もありました。=神戸市西区春日台

■1995年7月19日 震災184日目

神戸市立須磨図書館は6月末まで避難所として使われていました。書架の一部は地震で倒れたまま。積み上げられた大量の本を職員が整理していました。=神戸市須磨区

■1995年7月18日 震災183日目

震災前年は約166万人が訪れた神戸・北野町の異人館街。修復を終え、一般公開を再開する館も増えてきましたが、観光客はなかなか戻りませんでした。=神戸市中央区

■1995年7月17日 震災182日目

震災から半年。メリケンパークでピアニスト弓張美季さんがクラシックを演奏し、野外の環境音も含めて収録しました。神戸の再生を発信しようという試みでした。=神戸市中央区波止場町

■1995年7月16日 震災181日目

百貨店の中元商戦がピークを迎えました。人気を集めたのは、菓子やワインなどの神戸ブランド。震災見舞いのお返しに利用するケースも多かったようです。=神戸市中央区東川崎町1の神戸阪急(当時)

■1995年7月15日 震災180日目

全壊した神戸母子寮の跡地を会場に、夏祭りが開かれました。周辺約400世帯のうち8割が避難生活中で、再会した住民らは町へ戻る日に思いをはせました。=神戸市兵庫区湊川町

■1995年7月14日 震災179日目

約300人の避難者が生活する鷹取中学校では、プールの上にプレハブの仮設教室が造られていました。水泳の授業は近くの須磨海岸で行われることもありました。=神戸市須磨区青葉町3

■1995年7月13日 震災178日目

夏の日差しが照りつける避難テントに、防暑シートが掛けられていました。暑さ対策としてシート加工業者が発案。神戸市内のテント村に広まっていきました。=神戸市東灘区魚崎南町1、魚崎中学校

■1995年7月12日 震災177日目

一部が倒壊し、通行不能に陥った阪神高速神戸線の解体作業が進められていました。早期復旧が優先される中、沿線で暮らす住民は工事車両の騒音や振動に悩まされました。=西宮市

■1995年7月11日 震災176日目

被害の大きかったJR新長田駅南で、防火壁が倒れずに残っていました。後に「神戸の壁」と名付けられ、現在は移設先の北淡震災記念公園で災害の記憶を伝えています。=神戸市長田区若松町

■1995年7月10日 震災175日目

強い日差しの下、三宮で代替バスを待つ人たちです。橋桁や橋脚が被害を受けたポートライナーは一部不通となっていたため、島と市街地を結ぶバスが走っていました。=神戸市中央区加納町6

■1995年7月9日 震災174日目

避難所の小学校で生バンドのカラオケ大会があり、地域住民も一緒に楽しみました。避難生活を送る人たちを元気づけようと各地で同様の催しが開かれていました。=神戸市東灘区深江北町2

■1995年7月8日 震災173日目

震災で地下ホームの天井や柱などが被害を受けた大開駅。私鉄相互乗り入れの一日も早い復活をと、工事が急ピッチで進められていました。=神戸市兵庫区

■1995年7月7日 震災172日目

震災の犠牲者追悼と被災地復興を願った「七夕ひかりのまつり」が行われ、花火が打ち上げられました。開業を目前にしたホテルもライトアップで競演しました。=神戸市中央区

■1995年7月6日 震災171日目

6月から始まった明石海峡大橋の橋桁取り付け作業は3回目。神戸側主塔の南側で行われ、設置済みの北側部分と合わせて200メートルの橋桁ができました。=明石市の大蔵海岸から

■1995年7月5日 震災170日目

店舗の3分の2以上が全半壊した稲荷市場。建物撤去が進み、アーケードとタイル張りの道が残っていました。商店主は「営業中」の看板で心意気を示していました。=神戸市兵庫区西出町

■1995年7月4日 震災169日目

避難者が暮らす「テント村」となっていた本庄中央公園。仮設住宅などへの転居が進み、公園には撤去されたテントの跡が残っていました。=神戸市東灘区青木5

■1995年7月3日 震災168日目

神戸と上海を結ぶ国際定期フェリー「新鑑真」が、新港第4突堤に戻ってきました。震災で発着場が被害を受けたため、大阪に寄港していました。=神戸港

■1995年7月2日 震災167日目

アーケードが撤去されたままの三宮センター街。雨の日、買い物客は傘を差して歩いていました。アーケードが復活したのは1998年3月でした。=神戸市中央区三宮町1

■1995年7月1日 震災166日目

広い造成地に建てられた仮設住宅は殺風景なものでした。7月に入り七夕が近くなると、生活に彩りを添えようとササを軒先に飾る住民の姿がありました。=神戸市中央区、ポートアイランド