当時の記者たちが撮影した地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を、2024年1月17日から毎日掲載していきます。

 

■1995年6月30日 震災165日目

淡路島で最も被害が大きかった北淡町の富島地区では、建物の約8割が全半壊しました。海沿いの仮設住宅には、基幹産業である漁業に従事する人たちも住んでいました。=津名郡北淡町(現淡路市)

■1995年6月29日 震災164日目

神戸港で震災後初めて大型商船の引き渡しがありました。パナマ船籍のコンテナ船「エバー・リファイン号」。作業員らの見送りを受け、岸壁を離れていきました。=神戸市兵庫区、三菱重工業神戸造船所

■1995年6月28日 震災163日目

民家が密集する地域には、手つかずのままの被災家屋がまだ残っていました。住民も通る狭小なスペースで、小型の重機による作業が連日行われていました。=神戸市須磨区

■1995年6月27日 震災162日目

被災地の書店では震災関連書籍が目立つ所に置かれていました。発生1週間後に営業を再開した海文堂書店でも、新聞社発行の写真集などが平積みされていました。=神戸市中央区元町通

■1995年6月26日 震災161日目

不通だった阪神電鉄本線御影-西灘間が運転を再開しました。これで梅田から元町まで全線開通。JR、阪急の復旧に続いて、阪神間の主要鉄道が復活しました。=神戸市灘区浜田町

■1995年6月25日 震災160日目

震災の爪痕が残る町の復興を祈願して、法被姿の子どもたちがみこしパレードを行いました。「がんばれ神戸」などののぼりを掲げ、元気な声を響かせていました。=神戸市中央区宮本通

■1995年6月24日 震災159日目

復旧工事が進む神戸港の海底から電化製品やタイヤなどが大量に引き揚げられました。「落とし主」不明のため、やむなく拾得物として保管されていました。=神戸市中央区

■1995年6月23日 震災158日目

震災では神戸市内の宅地約3千カ所で擁壁が崩れるなどの被害が出ました。復旧が進まず、雨による二次災害の危険性も指摘されていました。=神戸市須磨区

■1995年6月22日 震災157日目

神戸電鉄は震災で不通になっていた長田-湊川間の復旧作業を終え、全線で開通しました。沿線地域の協力で資材置き場が確保できるなどし、開通が早まりました。=神戸市兵庫区

■1995年6月21日 震災156日目

各地の仮設住宅で孤独死が問題となっていました。大倉山仮設住宅では生田署員らが高齢者に防犯ベルを手渡し、緊急時に鳴らしてもらうよう呼びかけました。=神戸市中央区

■1995年6月20日 震災155日目

明石海峡大橋の工事が間近に望める海辺で、シラスの天日干しが最盛期。島の風物詩は、震災のあった年も変わることなく続けられていました。=津名郡淡路町(現淡路市)

■1995年6月19日 震災154日目

長田公設市場「食遊館」は、入居する建物の1階部分がつぶれるなど大きな被害を受けました。店主たちは、仮設店舗で営業しながら再起を目指していました。=神戸市長田区

■1995年6月18日 震災153日目

山陽電鉄本線が全線開通しました。板宿-西代間は、従来の地上線が震災で大きな被害を受け、春に開通予定だった地下に耐震工事を施して使うことになりました。=神戸市長田区

■1995年6月17日 震災152日目

米国から無償貸与された高性能の廃材破砕機が、震災によって出た廃棄物の処理を始めました。当時稼働していた国産機の、約5倍の処理能力を持っていました。=神戸市中央区、ポートアイランド2期

■1995年6月16日 震災151日目

不通だった山陽電鉄須磨浦公園-滝の茶屋間が運転再開。駅舎が崩壊した山陽塩屋駅は仮設ホームで営業を始めました。=神戸市垂水区

■1995年6月15日 震災150日目

営業している飲食店がまだ多くなかった神戸・三宮の中心街。遠くのお客さんにも見えるように…。にぎやかなお品書きには、そんな思いが込められているようでした。=神戸・三宮

■1995年6月14日 震災149日目

一斉に建てられた仮設住宅にはひさしがなく、後から各戸に取り付けられました。仮設住宅の住み心地の改善は、東日本大震災の際に教訓として生かされました。=神戸市中央区、ポートアイランド

■1995年6月13日 震災148日目

建物の大半が全半壊した地域では、テントでの不自由な避難生活が続いていました。子どもたちは限られたスペースで、工夫しながら遊んでいました。=神戸市東灘区

■1995年6月12日 震災147日目

運輸省航海訓練所(当時)の練習帆船「日本丸」と民間練習船「海星」がそろってイルミネーションを点灯。優美な夜景を描き出しました。=神戸市中央区、新港第1突堤

■1995年6月11日 震災146日目

兵庫県議選と神戸市議選の投票日。本来の投票所が被災したり、避難所になっていたりした地域では、緊急措置としてテントの投票所が設けられました。=神戸市東灘区魚崎南町、五百池公園

■1995年6月10日 震災145日目

震災で大火に見舞われた町に大型仮設店舗「復興元気村パラール」がオープンしました。約5カ月ぶりに81店が復活、待ちわびていた買い物客でにぎわいました。=神戸市長田区腕塚町

■1995年6月9日 震災144日目

被災した神戸交通センタービルは、上階を撤去した状態で仮営業していました。JR三ノ宮駅への連絡口も通れるようになり、人の流れが戻ってきました。=神戸市中央区三宮町1

■1995年6月8日 震災143日目

被災者が暮らすテント内の湿気防止に役立てばと、神戸の土木業者がはっ水・耐水性のある加工土を敷設しました。梅雨対策として効果が期待されました。=神戸市東灘区西岡本、野寄公園

■1995年6月7日 震災142日目

避難所の解消や上下水道の復旧で仮設トイレの出番が減りました。震災直後に全国の自治体などから集められたものが、洗浄されて山間部に保管されていました。=神戸市北区

■1995年6月6日 震災141日目

震災の影響で約1カ月遅れていた明石海峡大橋の工事が再開、巨大な橋桁の取り付けが始まりました。JR舞子駅付近からは大勢の人が作業を見守っていました。=神戸市垂水区

■1995年6月5日 震災140日目

被災地での選挙は震災復興が最大の争点でした。のぼりを掲げて練り歩く「モモタロー」作戦を、更地の広がる町で展開する陣営もありました。=神戸市長田区

■1995年6月4日 震災139日目

選挙戦が繰り広げられる兵庫県議選と神戸市議選。夕暮れ時、仮設住宅の一室に個人演説会のちょうちんが掲げられ、住民らが候補者を囲んでいました。=神戸市東灘区、六甲アイランド

■1995年6月3日 震災138日目

震災で延期された西宮市議選の告示前夜。候補者の1人は解体された店舗跡地に「ティピ」と呼ばれるテントを設置し、選挙事務所にしていました。=西宮市

■1995年6月2日 震災137日目

広大な土地に造られた大規模仮設住宅は、食料品など普段の買い物に不便なところもありました。トラックやワンボックスカーでの移動販売が住民に好評でした。=神戸市東灘区、六甲アイランド

■1995年6月1日 震災136日目

更地が広がる鷹取商店街付近。初夏の日差しの下で、洗濯物を干す人の姿がありました。厳しい日々の中でも、人々の営みに力強さが感じられました。=神戸市長田区