理想に燃えていた遠い日を思って寂しくなるときがある。「論語」で孔子は言う。「甚だしきかな吾(わ)が衰えたるや。久しきかな吾復(われまた)夢に周公を見ず」。周公とは儒家世界の聖人である◆孔子は嘆いた。わたしは老いてしまった、かくありたいとあれほど憧れていた周公の夢を見なくなるなんて-と。なるほど、自ら気づいて嘆くだけ立派だとも思える。このごろの“語らぬ政治家”を見るにつけ◆疑惑のホコリひとつ出ないよう、こと金銭にかけては身ぎれいにしよう。国民の声に耳をすまし、自らの言葉と行動でこたえよう。そうした理想の議員像、大臣像をどなたもかつては胸に抱いていたはずである◆いつ衰えたるや? そう聞きたくもなろう。「桜を見る会」前夜祭をめぐる国会答弁に重大な疑義が生じた安倍前首相からも、業者から現金を渡された疑いが浮上した吉川元農相からも、説明らしい説明がない◆いつものことながら与党内からも説明を尽くすよう求める声が出ているが、疑われるほうへ席が替わったとたん沈黙する議員をこれまで幾人も見てきた。疑惑をカーテンで覆うがごとく、臨時国会も幕を閉じる◆誠実であれ、という理想の政治家像は政治家のものだけにあらず。政治を見つめる人々の切なる願いである。2020・12・5
