阪神・淡路大震災の翌日、ヘリから見た光景に息をのんだ。煙を上げ、くすぶる街、倒壊した家々、すべてを埋め尽くす地滑り…。あれから長い歳月を重ねた。再び空から見た街は、大きく姿を変えていた。(撮影・岡本好太郎)
震災から一夜明けても煙を上げるJR新長田駅北西部(神戸市長田区)。土地区画整理事業を経て道幅が広がり、街並みは一変した=神戸市長田区松野通、水笠通周辺
西宮市・仁川では幅約100メートル、深さ約15メートルにわたって斜面が崩れ、34人が犠牲になった。現場には「地すべり資料館」が建設され、教訓を伝える=西宮市仁川百合野町、仁川6周辺
芦屋市津知町は93%の建物が全半壊した。住民が避難生活を送った公園では毎年、追悼式が行われ、記憶の継承に努めている=芦屋市津知町周辺
空からは、見えるものと見えないものがある。
1階がつぶれ、2階がそのまま残る家は、ヘリコプターから見ると無事に立っているように見える。人が埋もれていることは分からない。
火災は、空に立ち上る煙で分かる。高速道路の倒壊や、大規模な土砂崩れも見える。だがやはり、そこで助けを待つ人々の息遣いは聞こえない。
災害直後、私たちは被災地を見下ろす映像を見ることが多い。東日本大震災の巨大津波もそうだった。その一報で、被害の甚大さを知る。
しかし、本当の被害は空からでは分からない。倒壊家屋の土煙、埋もれた家族の名を呼ぶ声、ぼう然と路上に座り込む人々。地に足を着け、被災者と同じ視線に立たなければ、被害を肌で理解することはできない。
復興の現実も、空から見えるのはほんの一部だ。整然と並ぶ屋根の下には、20年分の汗と涙がある。美しい街並みの裏側には、その地域を離れざるを得なかった被災者の苦悩がある。
空から見えないものは何か。私たちが気付いていないものは何か。そこにある人間の体温を探し、眼下に広がる街に目を凝らす。
(磯辺康子)