転機 それから
家を3度、失ったけれど

塚本 茂さん (84)
元建築業/神戸市灘区

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転機 それから
家を3度、失ったけれど

塚本 茂さん (84)
元建築業/神戸市灘区

 震災を思い出すのはずっと苦痛でした。
 あの日、私は近所の人に助けを求められました。倒壊した家に生き埋めの人がいる、ジャッキやシャベルを貸してほしい、と。でも灘区の自宅は全壊、倉庫もつぶれて大工道具を取り出せなくて。何もできず、悔しかった思いしかないんです。
 思えば、家を失ったのは3度目でした。
 1945年5月の空襲で屋根に穴が開き、近くに構えた仮住まいも6月に焼けました。まさに火の海で、助かったのが不思議なぐらいでした。そして、震災です。
 4年前に亡くなった姉大仁(だいに)節子は、震災の記憶を風化させまいと、神戸の定点撮影を続け、写真展もたびたび開きました。夫に先立たれ、地震で東灘区の家は全壊。大変な暮らしの中で、本当によくやったと思います。
 私は震災から4カ月後、加古川の仮設住宅に入りました。建築の仕事が増えた被災地へ毎日通い、翌年には自宅の再建も果たしました。体調を崩しがちになり、仕事は辞めることになったけど、元の場所へ帰れなかった人たちを思うと、穏やかに暮らせている私は幸せな方だと思います。(三浦拓也)


2014年7月18日掲載
写真撮影場所:

神戸市灘区記田町1