(2)復興 神鋼、社運かけ発電事業参入
高さ150メートルの煙突から、白い水蒸気が噴き出す。2002年4月に稼働した「神鋼神戸発電所」(神戸市灘区)1号機の完成記念式典で、神戸製鋼所の水越浩士社長(当時)は、電力事業を「震災復興事業の最大の柱」と誇った。
1995年の阪神・淡路大震災は神鋼に約1千億円の被害をもたらした。発電所がある神戸製鉄所(現・神戸線条工場)は操業を停止し、全面再開に3カ月近くを要した。創業以来の苦境に見舞われていた同年末、一般企業による発電と電力卸売りが自由化された。
神鋼は電力事業への参入を決め、関西電力と電力供給契約を結んだ。神鋼OBは「とにかく安定した収益源が欲しかった」と振り返る。発電所の建設地は、震災前から休止していた高炉2基の跡地だった。
発電方式が「石炭火力」となったのは自然な流れだった。石油などより安価な上、製鉄の原料であり、調達経路や輸送船用の岸壁なども確保していた。

発電所の完成を記念してテープカットする神鋼の水越社長(当時、左から3人目)ら=2002年4月、神戸市灘区灘浜東町
実は、神鋼の電力事業構想は震災前の94年にさかのぼる。電力卸売り自由化の方針が決定し、加古川製鉄所などで自家発電のノウハウがあった神鋼は参入の検討を始めた。
日本の経済発展を支えた鉄鋼業だが、90年代前半はバブル崩壊による不況にあえいでいた。円高も重なり、各社の業績は悪化。溶接や機械などの複合経営が強みの神鋼も、93年度決算は経常赤字に転落していた。
そこへ震災が起きた。神鋼は被災の損失を埋めるため、神戸や尼崎の土地を売り、人員や研究費を絞った。別の神鋼OBは「もう削るものがないんじゃないかと思うほどだった」と当時を語る。
地域経済活性化の期待も集めた電力事業は02年に1号機、04年に2号機が稼働し、安定的に100億円以上の利益をもたらした。売上高は全社の5%ほどだが、業績の振れ幅が大きい鉄鋼などに比べ、期待通りの役割を果たした。
◇
神鋼が電力事業への参入を決めた96年当時、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を多く排出する石炭火力の問題点は国内ではあまり議論されていなかった。神鋼は硫黄酸化物や窒素酸化物などの大気汚染対策に腐心した。
さらに神鋼は14年、3、4号機の増設を発表。一方で、温暖化対策の強化を求める国際世論は高まり、石炭火力発電所の廃止圧力は年々強まっていった。その中でも3号機は22年2月に稼働し、4号機は23年2月の稼働を予定する。
神鋼は「最新の高効率発電設備」「国内最高レベルの環境対策」を強調し、今後、バイオマス燃料や、CO2を出さないアンモニアの活用で、石炭の使用を減らす計画を立てる。
だが、石炭火力が「座礁資産」とまで言われる時代に、石炭火力発電所増設はすんなりとは進まなかった。計画が「是認」されるまでには、石炭を巡る省庁間の綱引きと「手打ち」があった。(脱炭素取材班)