牙むく気候 水害リスク増大
内陸の伊丹市南部 海から7キロ、高潮浸水恐れ
兵庫県尼崎・伊丹市境に位置する伊丹市若菱町。今年6月、大阪湾から7キロ離れたこの地域周辺は高潮の浸水想定区域に指定された。
「ここは海から離れているから、高潮なんてないもんだと思っていました」
この地域に住んで50年という女性(72)は言った。浸水区域に入っていることは知らなかったという。

台風21号の高潮の影響で浸水した六甲アイランド=2018年9月、神戸市東灘区
なぜ、内陸の伊丹市が高潮に漬かるのか。県によると、死者・行方不明者が3千人を超えた室戸台風(1934年)級の台風に、高い潮位や堤防決壊が重なる「最悪想定」では、尼崎市の4分の3が浸水し、猪名川をさかのぼるなどして伊丹市にも及ぶという。

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同市はそれまで高潮に対応していなかった。「浸水想定と聞いたときは『えっ何で』という感じだった」と井手口敏郎・危機管理室長。市域の2%が該当し、大阪(伊丹)空港付近では浸水深さが最大1メートル以上3メートル未満にも達する。
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近年、自然災害の激甚化が指摘される。2018年9月の台風21号による高潮は、尼崎で最高潮位3・53メートル、神戸港で2・33メートルを観測し、いずれも過去最高。床上・床下浸水は500棟を超え、車両やコンテナ火災が相次いだ。
気象庁の兵庫県内統計にも変化が見られる。1時間30ミリ以上の雨(バケツをひっくり返したような雨)の年間平均発生回数は、1979~88年と2011~20年を比べると約1・8倍に増えた。一方、雨が降らない日(1日雨量1ミリ未満)の年間日数も増加傾向で、豊岡市では2020年までの100年間で11・7日増えた。
今年は県内20観測地点のうち、10地点で6月の史上最高気温を更新し、近畿など各地で統計史上最速の梅雨明けを記録した。
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変化の要因として指摘されるのが、地球温暖化だ。危機を回避するため、国際社会は脱炭素にかじを切ったが、神戸大学都市安全研究センターの大石哲教授(水文学)は「今から突然、脱炭素の旗を振っても、2100年までに影響を減らす方に持っていくのは厳しい」と現実を見据える。
「今ある状態で安全に暮らすには、災害の激甚化に適応した社会基盤づくりが不可欠だ」と大石教授。脱炭素の取り組みの一方で、気候変動を生き抜くための切実な模索が、各地で続いている。(上田勇紀、井川朋宏)
■災害激甚化 暮らしどう守る
川のせせらぎに、青く茂った山際が迫る兵庫県宝塚市武田尾地区。武庫川と僧川の合流地点近くに、桜や紅葉の季節に行楽客やハイカーでにぎわう飲食店「畑熊商店」がある。8年前の夏、創業約170年を誇る老舗を危機が襲った。

地盤のかさ上げ以前の土地を見下ろす畑田宏実さん。かつて店は6メートルほど下に建っていたという=宝塚市玉津(撮影・中西幸大)
2014年8月10日夕。台風11号の影響で武庫川があふれ、店の1階は浸水した。さらに同16日昼ごろ、丹波地域などに被害をもたらした豪雨で、今度は支流の僧川があふれた。
知人らと店内にいた5代目店主の畑田宏実さん(67)は「一瞬で膝まで漬かった。何もかもおしまいだと思った」。濁流が押し寄せる光景は、東日本大震災の津波の映像とも重なった。
慌てて皆で避難すると、10分もたたないうちに、水は店の1階天井に達した。堤防は幅約70メートルにわたって壊れた。店は地盤が崩れて傾き、全壊判定となった。
武庫川は氾濫を繰り返してきた歴史がある。1934(昭和9)年の室戸台風では、高潮や堤防決壊で尼崎、西宮市など兵庫県内で計200人以上が死亡。県によると、20世紀だけで約50回の水害の記録がある。
幼少期から浸水被害を経験した畑田さんは「30年に1度だった水害が、10年に1度やってくるようになった」。2004年の台風23号でも被災し、頻度が高まった実感がある。
店は基礎を約6メートルかさ上げし、18年に営業を再開した。水害のリスクは軽減したが、土砂災害への不安は残る。「自然には勝たれへん。命を守るために逃げるしかない」と決めている。
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近年の災害激甚化は地球温暖化との関連が指摘される。だが、温暖化抑止の決め手となる脱炭素社会を今後数十年で実現しても、気候変動は現在より進展する。災害頻発を見据えた対策も始まっている。
武庫川水系の羽束川にある千苅ダム(神戸市北区道場町)。神戸市の管理下で最大規模の1124万トンを貯水する。90年以上にわたって水道水を供給するこのダムが本年度から、治水にも活用されるようになった。
毎年6月に本堤17カ所のゲートから放水して水位を1・5メートル下げるのに加え、裏側の副堤に今年5月に設置した新たなゲートから放水し、さらに1メートル下げる。9月末までこの水位を保ち、増水時に100万トン分の流量を吸収することで、西宮、尼崎市をまたぐ甲武橋地点の水位を約5センチ下げる。
兵庫県神戸土木事務所河川課の灘孝郎課長(54)は「5センチはわずかと感じるかもしれないが、災害が激甚化する中、複合的な対策をとっていくしかない」。武庫川では増水時、小中高校の校庭12カ所、ため池4カ所、水田にも水をためて川の水位を下げる。
災害の複合化を見越した高精度の被害想定も進む。スーパーコンピューター「富岳」を活用する理化学研究所総合防災・減災研究チームのリーダー、大石哲・神戸大教授(54)は「今後起こり得る複合災害には、多数のシナリオ予測が必要だ。世界一のスパコンを活用し、工夫していくしかない」と語る。(井川朋宏)
■気温4度上昇なら豪雨2・7倍? 神戸地方気象台、今世紀末の推計
気候変動への追加対策を行わず、21世紀末(2076~95年の平均)の世界平均気温が産業革命前と比べて4度上昇した場合、近畿地方では1日の降水量が200ミリ以上の回数が20世紀末(1980~99年の平均)の約2・7倍になる-。こんな推測データを、神戸地方気象台が今年3月に出したリーフレットに掲載した。

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4度上昇する場合と、2度上昇する場合の2パターンを検討。4度上昇の場合、近畿地方では豪雨の頻度が増える一方、雨が1ミリ未満の「無降水日日数」も約12日増加する。最高気温が35度以上の猛暑日は兵庫県内で約34日、最低気温が25度以上の熱帯夜は約60日多くなる。最低気温0度未満の冬日は約41日減る。
一方、さまざまな温暖化対策を講じて2度上昇に抑えた場合は、1日の降水量200ミリ以上の回数は約2・0倍、無降水日日数は約4日増、猛暑日は約6日増、熱帯夜は約16日増、冬日は約18日減-にとどまる。
防災白書(20年版)は、気候変動により、世界レベルで洪水や海面上昇による高潮、熱波、寒波、干ばつなどの被害が懸念されていると指摘。「気象災害のリスクは一層高まる恐れがある」と警鐘を鳴らした。
気象庁は、二酸化炭素の排出量を削減することが温暖化対策につながるとして、燃料や電力消費を抑えたり、自家用車でなく公共交通機関を使ったりすることなどをホームページで呼び掛けている。(上田勇紀)