(2)頓挫の内実 原発再稼働、「代役」は不要に
東日本大震災後の原発停止に伴う電力供給不安は、全国に石炭火力発電所の計画ラッシュをもたらした。神戸製鋼所の石炭火力発電所(神戸市灘区)の2基増設計画もその一つだった。一方、同時期に兵庫県内で進められた他4基の計画はいずれも頓挫した。神鋼の計画はなぜ残り、その他はなぜ消えたのか。
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「なぜ今、石炭なのか」
2015年11月、赤穂市文化会館で関西電力が開いた住民説明会で、出席者から疑問の声が相次いだ。
同年3月、関電は赤穂発電所1、2号機(出力計120万キロワット)の燃料を石油から、より安い石炭に変える計画を発表した。石炭が石油の1・24倍の二酸化炭素(CO2)を排出することに加え、ばいじんなどの環境影響を懸念し、怒声を上げる住民もいた。
危機感は霞が関も持っていた。環境省は従来では環境影響評価(環境アセスメント)の対象外だった燃料転換を対象に加えることを検討し、関電をけん制した。当時を知る幹部は「石炭への転換という前例ができるのを、何とか食い止めたかった」と振り返る。
17年1月、関電は赤穂の燃料転換計画の中止を決めた。会見で当時の岩根茂樹社長は「CO2削減へ政府の要請が強まった」と環境への配慮を口にした。その瞬間は、脱炭素に逆行する石炭への反対圧力が、計画を止めたように見えた。

石油から石炭への燃料転換計画が中止になった赤穂発電所=赤穂市加里屋
だが、県環境部局の担当者は「関電が石炭は駄目だという意見を受け止めたというより、他の電源を確保できる見通しが立ったのでしょう」と冷ややかに見る。それは原発だった。
関電が断念を決めた3週間後、大飯原発3、4号機(福井県おおい町)が原子力規制委員会の審査に事実上合格。3月には高浜原発3、4号機(同県高浜町)も、大阪高裁が運転差し止めの仮処分を取り消した。5月から再稼働し、関電の「稼働原発ゼロ」状態が終わった。
関電の森望社長は神戸新聞の取材に「原子力をやっぱり動かすという方向になっていた。時代として火力に頼るのがいいのか、原子力を再稼働するのがいいのか、というところです」と語った。
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電源開発(Jパワー)も14年7月、石炭火力の高砂発電所1、2号機(高砂市、計50万キロワット)を建て替える計画を発表した。出力が2倍以上に増強されるとともにCO2排出量も増加するため、赤穂と同様に反対運動が起こった。
そして18年4月、Jパワーも計画断念を発表した。同社は「関電と調整がつかなかった。原子力の再稼働が大きいと思う」と説明した。この前月、大飯原発3号機が再稼働し、5月には4号機も動き出していた。
脱炭素の潮流や反対運動を横目に、石炭火力発電所建設計画は停止した原発の代役として浮上し、再稼働後は用済みとして消えた。では、消えずに残った神鋼の増設計画はどのような位置付けだったのか。(脱炭素取材班)